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 鯉候櫓台りこうやぐらだい 石垣

 いもり堀の南東の端に築かれた石垣です。絵図によると、堀底からの高さは 約14.4mありました。掘りに 向かって突き出した主要部分は、長辺23.4m、 短辺11.8mの規模で、鍵の手に折れ曲がりながら東側の 車橋門へ続いていました。
 明治40年(1907)、いもり堀の埋め立てと同時に上部が撤去され、 地上からいったん姿を消しましたが、 平成10年度から実施された発掘により、 残存高約9.6m分が確認されました。
発掘された石垣は、寛文4年(1664)の修築時のもので、 ツル・ノミ等の工具で形を整えた石材(角閃石 安山岩・通称戸室石)が 整然と積み上げられており、江戸時代後期の加賀藩の石垣技術者、 後藤彦三郎は「城内随一の石垣」と賞賛しました。
なお、名称の由来については、はっきりしたことはわかっていません。 また石垣上の建物としては塀が知られるのみで、槽は建っていなかったと考えられます。

創建 元和(1615~1624)ないし覚永(1621~1644)頃
修 築 正保元年(1644)、寛文4年(1664)  

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 橋爪門続櫓はしづめもんつづきやぐら石垣  

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 戌亥櫓いぬいやぐら石垣