釣石神社
釣石神社 由 来
一 北上町十三浜追波鎮座
一 旧村社 釣石神社
一 祭神 天児屋根命
一 祭日 九月九日
一 由来
本追波地区は元来「館ヶ崎」と称されていた。その奥地の国有林郷
ノ巣山のうち産土沢と称する山上に祀られ崇拝されていたが、時代
の流れ行くまま便宜よく山間より北上川筋に移転したるを以て、古
代人が元和四年(江戸時代初期)現在地に遷宮したと伝えられている。
その当時、館ヶ崎は北上川海門ロのため、藩祖伊達政宗公が当地方
巡視された際、社側の丘に登って四方を眺望し波の追い来たりを御
覧になって「追波」と改称したという。
館崎に登りて見れば朝日さし綾に寄せ来る追ひ波の浜
「境内地には大石四つあり
その一は長さ二丈五尺ばかり、横一丈二、三尺ばかり
その二は形は円く、周囲四丈六、七尺ばかり
その三は形は少し円くて長さ七尺ばかり、横六尺ばかり
その四は長さ五尺ばかり、横三尺ばかり、厚さ二尺五寸
ばかり東西を囲みて地に入るはいささか少ない。あたか
もこれを釣り揚げるが如し、上に大石ありてこれを蓋し、
その形窟の如し、故に土人はこれを号して釣石大明神と
いう。」
右は「封内風土記」より索引したものであるが、現在は「釣石」と
称する周囲約十四米の球状の巨石が断崖に釣り上げられたようにな
っている石、またその下方に長さ約八米、横約四米半の巨石が釣石
と対応している石を陰陽神(道祖神などに見られる男女の性器を模
した石)のご神体として崇拝されている。昭和五十三年の宮城県沖
地震にも耐え、落ちそうで落ちないことから受験、釣りの一字から
大漁、そして陰陽神から夫婦円満、縁結び、子宝、また階段中腹よ
り釣り上げられた石を見れば亀の頭に良く似ていることから、背に
乗り追いくる波を眺めれば満年長寿など厚く信仰されている。
北上町観光協会
祭神の天児屋根命は、
知恵の神様、学業の神様であることから
受験の神様として知られている。
本殿はとても質素です。