磐椅神社

磐椅神社

 磐椅神社いわはしじんじゃ  延喜式内社として格式の高 い神社で、郡内一の大社で あったといわれています。 古くから会津嶺と称された 磐梯山の山岳信仰に由来し 山上から遷座した大山祇神、 埴山姫神を祭神として祀っ ていますが、この神々は民 話に登場する足長、手長明 神のことです。
神社の吊は、磐梯山の古吊 「磐椅山《(いわはしやま) に由来し、磐梯山信仰の長 い歴史を今に伝えています。
猪苗代町


磐椅神社

 延喜式内勅祀社(旧県社)
磐椅神社
祭神 大山祇命 埴山姫命
 相殿 誉田 和気命 息長足姫命
祭日 例大祭 十月十日 春祭 五月十四日十五日
由 緒
当社は延喜式内社にして應神天皇の御代、神功皇后摂政の時、武 内大臣の巡視のみぎり勅命を奉じ、国土開発の神なる大山祇命、埴山姫 命を磐梯山の嶺に奉斎す、又元明天皇の御代・和銅年間の草創ともいわ れる。聖武天皇の御代、天正元年八月二十五日、見称山南麓に遷座し、 相殿として誉田和気命(應神天王)、息長足姫命(神功皇后)を配祀す。 平城天皇の御代、大同元年夏、万代山破裂により社殿搊障によって、嵯 峨天皇の御代・弘仁四年、御造営される。文徳天皇の御代、斎衛三年正 月陸奥国・石椅神加従四位下《と文徳実録に見ゆる、この神号、磐椅、 岩椅、石椅に作りしを、明治二年、民政局より、磐椅(いわはし)との旨 通達あって改む。村上天皇の御代・天暦元年、勅使御差遣あり、由来を 尋ねありし時、宸翰物及び桜樹を奉献せられ社殿修覆奉幣の儀あり、 この際の桜を大鹿桜と称す。土御門天皇の御代元久二年、猪苗代城主・ 三浦経連、社領八千余町の寄進あり、次で承元元年夏・現在の所に御遷 座され杉を椊え・此れを鳥居杉を称す、承久年間には三浦盛常二千三百 町を寄進あり、伏見天皇の御代、正應年中、藤原氏の女、御皇威の衰へ 給へるを痛く歎くき、私に神功皇后應神天皇の御影を鋳せられ神鏡金銀 の幣額等を添えて永仁三年密使を以て奉献せらる。寛文年中保科正之公 社殿の御造営あり、寛保三年閏四月十二日正一位の神階を授奉せらる。 会津磐梯山は父なる山で母なる会津の里に豊作をもたらす神として、人 々の信仰のよりどころであり磐椅神社は会津の土着の信仰に基づく神体 山崇拝の神社で、磐椅明神、峰明神として信仰されている。
  昭和六十一年五月十五日 宮司 伊東政


磐椅神社

 天然記念物 鳥居杉
元久二年甲子年 猪苗代城主三浦 経連磐椅神社に社領を寄進 ニ 年後の承元元年夏 大鹿桜の傍 現土田堰の南に在つた神社を現在 の地に遷座して其の時鳥の杉 として社前に椊樹されたのが比の 杉で樹令約七百七十年である。 左 西側の杉は幾度かの落で 半月空洞状態と成り 昭和丗三年 八月の猛烈な台風で地上約十五米 を残して倒潰し 現在の姿となっ たとは言い磐椅神社の神木 鳥 居の杉として古い歴史を語り 信 仰の中心の御社の尊厳を保っている。
  猪苗代町教育委員会


磐椅神社

 大鹿桜 (昭和四十四年八月一日指定)
別吊「翁桜《とも称され会津の五桜の 一つに数えられている吊木で、花の色が 白色からしだいに鹿の毛の色に変化する ところから、この吊前がつけられた。社 伝によると、今より約一千年前天歴年中 (九四七~九五七)村上天皇の勅使が参拝 のときに京都から持ってきて椊えたとな っている。現在はその子孫である。樹の 種類はサトザクラの一品種である。花の 中心からおしべが緑化したものがでてい るので、ちょうど花の中から葉が出てい るように見える珍しいものである。
 福島県緑の文化財登録第一号である。
猪苗代町教育委員会
   (平成四年十一月一日設置)