法蔵寺

法蔵寺

 701年、僧行基ぎょうき の開山と伝えられ、 松平初代親民ちかうじが 深く帰依きえして、 1387年に堂宇を建立し、寺号を 法蔵寺ほうぞうじ としたと言われています。 家康が幼いころ、手習いや 漢籍かんせき を学んだとされ、数々の遺品が現存し ています。桶狭間おけはざま の合戦以後家康は、法蔵寺に守護不入しゅごふにゅう の特権を与えるなど優遇しました。 また、境内には新撰組で有名な、 近藤勇の首塚も祀まつられています。

法蔵寺

 法蔵寺山 東照宮 由緒
寺伝 御太祖源頼義公 御父子勅命東國御下向の節富山に御参詣有 御子義家公(號 八幡太郎) 両度の御下向御参詣 戦勝御謝恩の為 難事闘戦御勝利の御甲冑御供養の御儀奉る
 始祖松平親氏公 三河渡御の折御武運御勝利を御祈願 御手自ら 正八幡之神像を御彫刻 當寺に御宮を御建立され 義家公御甲冑と 御神像を御宮に御遷座奉り 松平御當家の守護神とされた
 松平元康(後の家康公)岡崎ご在城の砌 所々ご出陣の節は勿論 平日共に御開運御祈祷を仰付の為 當寺教翁洞恵上人弟子の教山坊 に命じ 元康様初陣御甲冑の御木像を彫刻安置 御供養の御神体は 御相宮にて御遷座 臨時長日共御後裔様御治国平天下の御祈願奉る
 御宮は変遷を重ね のち「東照宮」と改められ現在に至る
本殿
入母屋 銅板莓 唐破風 極彩色
文政 三年(1820)修覆される
文政 四年(1821)御遷座
平成十一年(1999)大修覆された
神前寶鈴
「東照宮 元禄元年(1688)」の銘がある神前實鈴が現存する
元禄期 御宮は既にこの地に遷座していた
神額
文政十二年(1829)旗本柴田氏 本宿陣屋代官富田群蔵常業の 願いにより 神祇伯白川雅寿王の染筆である
旗本と御鏡講
文化十二年(1815)旗本石川左近衛将監忠房 御宮荒廃を慨嘆 修覆基金「御鏡講」旗本有志の賛同を得て設立する
神前には旗本大御番組寄進の奉献石造物が数多く現存している
(法蔵寺御由緒書より) 本宿学区まちづくり推進協議会  (説明版より)

法蔵寺

 天然記念物 法蔵寺のイヌマキ
胸高囲二・四四m、根囲四・六七m、樹高十二mに達す る。本株は樹勢が優れ、 樹形は極めて優美。根本近くの 幹には腐朽による空洞がある。樹齢は古いものと推定さ れる。 行基菩薩が開山の際に植えたという伝承があり、「行基 開山の槇」と称されている。
昭和五十年三月二十六日指定

 天然記念物 法蔵寺の桜(現在地の後方)
幼少の頃に法蔵寺で読み書きを学んだ「家康公お手植えの桜」と伝わるヤマザクラ。 根周り四m程ある幹の腐食跡が地面に残っており、往時は偉大な桜であったと思 われる。 現在はその腐食跡から生じた若枝が樹勢を形成している。
昭和三十八年五月八日指定
岡崎市教育委員会