熊野本宮大社

熊野本宮大社

 御創建二千五十年奉祝式年大祭(趣意) 熊野本宮大社の創建は崇神天皇六十五年(紀元前三十三年)旧社大斎原にあった 櫟(いちい)の大木に、熊野三所権現が三体月になって降臨されお鎮まりになって以来、 悠久の時間を紡ぎながら今日に至っております。
 延長五年(九二七年)にまとめられた「延喜式神名帳」 では名神大社に列し、世上では 熊野大権現・熊野十二所権現と称えられ、 延喜七年(九〇七年)の宇多法皇の御親拝 に始まる「熊野御幸」 は亀山上皇までの間百余度に及び、後鳥羽上皇から「日本第一 大霊験所」の称号を賜るほど活気にあふれ繁栄を極めました。
 その後、熊野信仰が普遍化し一般衆生が恋焦がれるが如く熊野詣でを志して、里謡に 「伊勢に七度、熊野に三度、どちら欠けても片参り」と謡われるほど流行し、 「蟻の熊野詣」という社会現象を引き起こして、全国に数多の熊野神社が勧請されて 日本初の団体参拝組織が作られたのであります。
 そして明治期には三山貸付業が崩壊し、御師達も次第に衰えて他に移り、明治 二十二年の大水害で甚大な被害を受け、また大東亜戦争後の混乱期には維持管理すら 出来ず、当時の困難や苦労は想像を絶する中、先人達は知恵を絞り汗をかき、当社を 維持する為に渾身の力を使って*余曲折を経て、先人達のお陰を持って、二千五十年 の記念すべき年を迎える事となりました。
 現在の熊野本宮大社の歩みを振り返ってみますと、平成四年には拝殿(黎明殿) 建立、平成十二年には日本一の大鳥居建立し、平成二十三年の紀伊半島大水害で 甚大な被害を受けましたが全国の皆様のお力で、明治二十四年の御遷座より正遷座 の記念事業である御本殿修復工事を無事竣功させ、倒壊した宿坊も見事に崇敬 会館瑞鳳殿として再建させる事が出来ましたのも御神意によるものと確信する ところであります。
 私達が先人達から引き継いだ悠久の伝統文化や、永久に千木高く厳然として鎮まり ます熊野権現の御社殿を、後世の担い手達に引き継ぐ一助となれたのは、神社関係 者のみならず、常日頃から御協力頂いている全国崇敬者・熊野講員の皆様のお陰と 改めて高く御礼申し上げます。
 御創建二千五十年の佳節を御神前に報告致し、大自然には畏敬の念を心に強く刻み つつ、熊野地方・和歌山県の発展、ひいては国内はもとより世界の平和と繁栄を祈念 し、悠久の歴史を新たに残す事を期して奉祝式年大祭を斎行致します。
奉祝式年大祭にあたり、全国の当社をお支え頂いている講員・崇敬者を始め、当社 と御神縁の深い有志の皆様の知恵を頂き、平成三十年四月十一日より四月十五日に 例大祭を斎行し、一年間を通じて様々な形で、熊野の素晴らしさを発信できればと強 く願っておりますので、どうか多くの皆様の賛同を得て、御創建二千五十年の本年が 共に体感し心豊かな年となるように皆様の御協力御参加をお願い致します。
 熊野本宮大社宮司 九鬼家隆      (説明版より)

熊野本宮大社

 熊野座神社 旧社(大斎原おおゆのはら) 水害前の絵図 「熊野座神社(現・熊野本宮大社)は、熊野川・岩田川・音無川、三つの川が合流する ここ大斎原の中洲に鎮座 していました。熊野の神々は、中洲のイチイの巨木の梢に 三体の月の姿で降臨したとも伝えられています。 一八八九年(明治ニ二年)、熊野川の大洪水によって建造物が倒壊しましたが、 辛うじて倒壊を免れた上四社三棟) を北西の丘陵に遷し、 倒壊した中社・下社と摂末社の神々を二基の石祠それぞれに祀りました。 左図の江戸 時代に描かれた『熊野本宮井諸末社図絵』から、かつての一万坪を 超える境内の概要がうかがえます。 一番大きな川が熊野川であり、 左方より流れ込んでいるのが岩田川、大きく蛇行した後、街並みに並行して流 れているのが音無川です。森に囲まれた中洲中央には、 横一列に並ぶ十二柱の神々を祀る社殿と上神楽所、その 前には大きな礼殿がみえます。礼殿の前の大釜は、現存する 『伝源頼朝寄進鉄湯釜』(宝物殿展示)です。これら を囲む形で門を設えた塀が廻り、その外には幾棟もの摂末社が立ち並び、 宝蔵・文庫・神馬舎・能舞台などが散 在しています。
 街並みから音無川を越えて境内へ入る箇所に太鼓橋(高橋)が架かっています。 江戸時代までは橋が無かった為 に、参詣者は川を渡り足を濡らさなければ境内に 入れませんでした。これを「濡藁沓ぬれわらぐつの 入堂」といい、全ての参詣 者が自然に身を清める禊をしたわけです。
下流の三川合流地点には船着場がみえますが、ここが新宮へと向かう 「川の参詣道」の出発地点でした。   (説明版より)

熊野本宮大社

 日本第一大鳥居建立の意義
 人心が神と自然から離れつつある今日、当社の最も危惧する ところは「命脈の護持」であり次の世代への日本の心(精神・ 魂)の復活を祈念することであります。
 神代の時代、素盞鳴尊(家津御子大神)が大地の荒れ果ててい るのを嘆かれ、自ら木を御手植えになられて「木の国=紀の国」 と名付けられました。
 皇紀二六六一年を迎えた日本国にとって、大なる節目である ことは無論の事、この節目の始めに当たり「日本人の精神(心) の蘇り、 日本経済の再生、熊野の山々より環境の大切さの再認 識、国内は基より世界人類平和」を確固たる事を祈念し、今こそ この壮大なる熊野の山・川は申すまでもなく、大斎原を発信基 地として熊野の大神の広大なる御神徳を得て、新たなる世紀が 神と自然と人が共にある様、皇紀二六六一年、熊野の大神の御 神徳が発揚かつ千木高く厳然として鎮まりますよう、熊野本宮 大社・熊野信仰の原点となる大斎原に、日本最大の第一大鳥居 を建立する運びとなった次第です。八咫烏を掲げた天下一大鳥 居であります。竣工は、平成十二年五月十一日です。
   (幅) 約四十ニメートル
   (高さ)約三十四メートル
 日本には天照大神を祭る神宮(伊勢)や、素盞鳴尊を祭るここ本宮(熊野)、 大国主尊を祭る大社(出雲)を始め、たくさ んの神社がありますが、 神社で最初に目に付く物といえば鳥居です。鳥居は神社 が神聖で清らかな場所であること、つま り神様のおはしますことを示す一種の門です。   (説明版より)