事任八幡宮

事任八幡宮

  御由緒
 創立年代未詳 大同二年(八〇七) 坂上田村麻呂東征の際 桓武帝の勅を 奉じ 旧社地本宮山より現社地へ遷座 すという延喜式(九二七)神明帳に 佐野郡 己等乃麻知ことのまち 神社とあるはこの社 なり 古代より街道筋に鎮座 遠江に 座す願いことのままに叶うありがたき 言霊の社として朝廷を始め全国より 崇敬されしことは平安朝の「枕草子」 に記載あるを見ても明らかなり
 世が貴族社会より武家社会に移るや 八幡信仰が一世を風靡し康平五年 (一0六二)源頼義が石清水八幡宮を 当社に勧請し 以来八幡宮を併称す
 江戸期に入りては徳川幕府も当社 を信仰し社殿を改築 朱印高百石余を 献上す 明治以降 県社八幡神社と称 せしが 第二次大戦以後の社格廃止に 伴い 由緒ある名「事任ことのまま」 を復活し 現在は 事任八幡宮と称す
事任ことのまま 八幡宮   (説明版より)

事任八幡宮