安部文珠院
「御祈祷の寺」
安倍文殊院について
当山は創建以来一千三百五十余年にわたり、
御析祷の寺」として今日に至っております。特に平安時代
に陰陽道・占いの租て知られる安倍晴明公が当山にて
出生されて以来、あらゆる願いを叶える「御祈祷の寺」
として全国的に有名となりました。
御参拝の皆様には霊験あらたかなる当山の御祈祷を
受けられることをおすすめ致します。
文殊院の仏像
文殊院は、華厳宗に属し、山号は安倍山、東大寺
の別格本山である。また日本三大文殊としても有名
な寺院である。
国指定の木造騎獅文殊菩薩像を本尊として、右前
に善財童子、後に優填王像が、左前に最勝老人像、
後に須菩提
像の侍者像がある。この他に、市指定の
木造大日如来坐像、木造釈迦三尊像も安置されてい
る。
神仏靈場開創記念
「伊勢神宮への大道標」
この道標は江戸時代から近代まで、かつて当山の仁王門があった事で
地名となったた仁王堂の辻の伊勢街道に南向きに置かれていた。標石高さ
5尺(約150センチ)。幅2尺(60センチ)。花崗岩作りの見事な大石
標で石の頂辺には水鉢が彫りくぼめてある。
正面に「右、はせ(長谷)、いせ(伊勢)、左、たへま(当麻)、大坂(大阪)
道」・左右には右あべ(安倍)、をか寺(岡寺)みち」「左あべ(安倍)、
をか寺(岡寺)、よしの(吉野)、かうや山(高野山)、」と筆太の深い文字
で彫られている。裏面には「寛政十午成年、造立願主桜井、吉林修理謹
言下色石エ与助」と記す。
は戸時代、この伊勢街道は大阪から竹之内峠を経て、大和八木〜当山仁
王堂の辻〜長谷寺〜伊勢神宮へと続く重要な街道であった。
また伊勢街道の仁王堂の辻から当山を通り吉野へ続く街道は、飛鳥時代
は磐余(いわれ)の道、と呼ばれ、中世には吉野への連絡道、江戸時代か
らの近世では、紀州から伊勢への大名街道であった。
平成二十年九月に伊勢参宮を起点として百五十社寺を巡る「神仏霊場」
が開創され、当山もこの霊場寺院に参画した事を記念して、一般に非公
開で当山庭園に保存されていたこの「伊勢神宮への大道標」を移設し広
く一般に公開するものである。
神仏霊場・奈良ニ十一番札所
安倍文殊院
「特別史跡」文殊院西古墳
願掛け不動」安置
我が国の文化財保護法に於いて、歴史上又は学術上価値の高いも
のを国の史跡として指定されています。
現在、国の指定史跡は、千六百九十四件ありますが、その中でも日
本文化の象徴と評価される特に重要なものを「特別史跡」として指
定されています。
従いまして、仏像や建築物等の「国宝」・「重文」に匹敵する貴重
な遺産です。
特別史跡は、全国で僅か六十一件しかなく、その中でも「古墳」で
指定されているのは、僅か七件で、当山の「文殊院西古墳」は極め
て貴重な遺産となっております。
このよ墳は今から千三百六十余年前の西暦六百四十五年頃に築造
され、境内部の石材は築造当時のまま保存されております。
見事な切り石の様は、あまりにも美しく、誰もが現在に作ったレプ
リカと疑う程で、その加工技術の美しさから「日本一美しい古墳」
の定評があります。
全国七件の特別史跡の古墳の中で、奈良県にある特別史跡古墳は、
以下の通りです。
@文殊院西古墳(桜井市)
A石舞台古墳(明日香村)
B高松塚古墳(明日香村)
Cキトラ古墳(明日香村)
D巣山古墳(広陵町)