百尺観音

百尺観音

 参拝のしおり
この超巨大な観音像は昭和六年に荒嘉明が建立に着手以来実に五 十年以上の歳月が費やされており現在八十八尺でありますが 完成す れば一一八尺の総高となります。
 さてこの観音様は、完成のあかつきには、日本一の巨大なる仏様 彫刻となることは勿論でありますが他に全くの類例を見ないその特 色は、ひとりの男が建立の悲願を立てて、その生涯を一仏一体の建 立にうちこんで完成いたそうとする点であります。
 荒は明治三十五年、三峰山霊場の近くにうぶ声をあげ、三峰山で 育つ中でこの山は荒青年の好道の遊び場所でありました。長ずるに 及んで自ら感ずるところがあって、ニ十三歳の年、家を出てニ九 歳帰山の六年間、全国を遊歴し、いたるところの古社寺、史跡をた ずね、秘仏を参拝し、人間修行に精魂を打ちこんだ のであります。 その間において、悟るところがあって、千体の仏像を作るよりも、 生涯一仏一体の超巨大制作をなし、永く後世にこれを残そうと決意 したのであります。
 昭和五年の夏、全国遊歴に終止符を告げて、故山に帰った青年流 嘉明は、時二十九歳で、この大製作に全力の勇気を奮い起こしたの であります。しかし世人はこの企てをみて、恰も誇大妄想狂として 冷評雨の如く、ほとんどそれを信ずる者とてなかったが、上屈上倒 の決意は、上動、熱願火と燃えて、あらゆる困苦欠乏に耐え、日夜 とわかたず一心上乱、ただ製作に専念し続けたのであります。そし て歳月は春風秋雨を重ねて三十年余、この完成を見ずして三十八 年三月二十五日逝去したのであります。時六十二歳。そのあとをニ 代目荒保彦が引き継ぎ、一歩一歩、完成に向けて事業を進めて参り ました。


百尺観音

  昭和四十六年春の突風により、御顔の部分の風化防止のためにか けたセメントが落ちたので、四十七年一月から三ヶ月の日時をかけ 完成補修工事行いました。その後もひとりつるはしとって観音 像の彫刻を続けながら霊場内の整備を行っておりましたが、昭和五 十五年三月ニ十八日五十三歳にして逝去したのであます。その後 は三代目荒嘉道が引き継ぎ、事業を続けつつ境内や参道の整備を 行って参りました。しかし、平成二十三年三月十一日東日本大震 災によって観音様の左手や体の一部崩落しまい、崩れた岸壁など の処理を行って参りましたが、平成二十五年三月三十日逝去した のであります。
 現在四代目荒陽之輔が鋭意、事業の継続中でありますが、お膝及 び蓮台等と仏像の仕上げには多大なる資金を要しますが、この建立資 金は全国のご理解ある方々のご協力を必要といたしましたので、よろ しくお願い申し上げる次第です。霊場内のみやげてんは直営でこの利 益金は観音像の建立資金にあてておりますので、御来山の皆様方に は御後援下さる意味で是非ともご利用の程お願い申し上げます。
         四代目  荒 陽之輔