神炊館神社
総鎮守神 神炊館神社
社記
御祭神 建美依米命
・建許昌命
・建美名方命
・八非正元命
・誉田別命
祭 日 元旦祭 一月一日(しめ納め 一月七日)
春 祭 五月八日
秋 祭 九月十七日(例大祭 御鉾迴特殊神事)
十八日(御渡祭) 十九日 (後祭)
新嘗祭 十一月二十三日
境内末社 市神稲荷(三八)神社・天満神社・松尾
神社・青麻神社・本馬稲荷神社
由 緒 主祭神は建美依米命。同命は、成務天皇
の御代に初代石背国国造として当地に赴
任しました。着任するや、 社壇を築き収穫された新穀を炊いで天神地祇に捧げて
政治の成功を祈願しました。社名はこの
故事に由来しています。その場所(現西
川茶畑町)は、「社壇様」と呼ばれまし
たが後に社殿が築かれ、「神炊館神社」
と名づけられました。後世当地を支配し
た二階堂氏は、城郭内に諏訪社を建立し
建美名方神を勧請しましたが、落城後の
慶長三(一五九八)年に両神社を併せて
新たに社殿を造営し、諏訪大明神と称し
ました。会津城主上杉景勝公の庇護を受
けていましたが、北門の石鳥居は景勝公
寄進のものであります。正徳二(一七一
二)年、正一位の神階を授けられ、「岩
瀬総社諏訪大明神」を称し、末社は郡?
八千社に及びました。松尾芭蕉が「奥の
細道」行脚の途次、当神社を参拝したの
が、元禄二年四月二十八日でした。
(「曽良随行日記」)
明治十一年現在の社名に復称し、須賀川
町の総鎮守となり、現在に至っています。
神炊館神社社務所
「奥の細道碑」について
『宗祇戻』
(柿衛文庫蔵)は、宝暦四(一七五四)年、白河の俳人
和知風光が編集した俳句の本。挿図に松尾芭蕉の肖像と諏訪明神(神灰館神社)に
奉納されていた芭蕉真筆の句として
「うらみせて涼しき瀧の心哉」
に説明を加えて掲載しています。
(この句は岩波版『芭蕉俳句集』(四九二)、加藤楸邨「芭蕉全句」(五二五)に収録されています)
『會良随行日記』(天理大学図書館蔵)は、元禄二(一六八九)年、松尾芭蕉の「奥
の細道」の旅に随行した弟子の河合會良が書きとめていた日記。須賀川には四月二
十二日から二十九日まで滞在しました。碑に刻まれているのは、二十八日諏訪明神
に参詣した時の一節です。
「二十八日 発足ノ筈定ル。矢内彦三良来而(きたりて)延引ス。昼過ヨリ彼宅へ
行而(ゆきて)及暮(くれにおよぶ)。十念寺・諏訪明神へ参詣。朝之?、曇」
三基の石灯篭は、芭蕉が参詣した元禄年間に当神社に奉納されたものです。
平成十八年十二月
総鎮守 神炊館神社