天草

天草


稲佐山から望む長崎の夜景と文明の発展の先駆けとなった長崎を見学する。



天草の海

天草の海

 朝もやに包まれた海が次第に消えていく様は、ここまで来てよかった!と…

天草の海

 

天草の海

 

西宮宮

西宮宮

 西宮宮にしのみやぐう 〜Nishinomiya-shrine〜
祭神は 蛭子神ひるこのかみで、 村中安全、大漁満願、商売繁 盛を祈願して祀り、漁業を中心とするア津の生業と 密接に関わっ ています。古文書などから18世紀には造立が確認されます。

西宮宮

 

西宮宮

 

崎津教会

崎津教会

 天草のア津集落(Sakitsu Village in Amakusa)
崎津さきつ 教会(Sakitsu Church)
崎津教会は、1934年にハルブ神父と住民の寄附によって建てられた教会堂です。初 代ア津教会堂の老朽化により現在の場所に新築されました。
コンクリート造りの計画で建築されましたが、資金不足により途中で木造に切り替え られたため、灰色のコンクリート部分と白色の木造部分が混在する特殊な教会堂とな りました。
教会の設計は、多くの教会建築に携わった上五島出身の鉄川与助によるもので、外観 にはゴシック様式の特徴がみられ、堂内には、建設当初から日本の生活様式を取り入 れて畳が敷かれており、信徒たちは床に座ってミサに参加していました。

崎津教会

 

大江天主堂

大江天主堂

 天草のキリシタンは、徳川幕府の禁教 時代にも「かくれキリシタン」として、 ひそかに信仰を続けましたが、明治に入 り禁制の高札が撤去され、再び布教が行 われました。
フランス人ガルニエ神父は、明治25年 32歳でこの地を訪れ、昭和16年82歳で なくなるまでの49年間布教に努め、天草 言葉を巧みに使いこなし、村人からは 「パアテルさん」と呼ばれ慕われていました。 「現在の天主堂は、神父が信徒と協力し て、 昭和8年に完成させたものです。
明治 40年、北原白秋等の5名のいわゆる 「五足の靴」の旅は、 「パアテルさん」に 会うのが主な目的とあり、天主堂を訪れ ガルニエ神父に会っています。 熊本県(観)    (説明版より)

大江天主堂

 

大江天主堂

 

崎津諏訪神社

崎津諏訪神社

 崎津諏訪神社さきつすわじんじゃ
ア津集落の約70%が潜 伏キリシタンと発覚した 1805(文化2)年の「天草崩 れ」の舞台です。代官所の 役人は、異物(異仏)取り調 べのため、信仰遺物を境内に設置した箱に捨てるよう 指示しました。
 このような弾圧下においても、崎津の信者は「何方 江参詣仕候而も矢張あんめんりゆすと唱申候」(「あん めんりゆす=アーメンデウス」)と唱えたといいます。     (説明版より)

崎津諏訪神社