二本松城址

二本松城址

 史跡二本松城跡しせきにほんまりじょうあと     平成19年7月26日 国指定
 二本松城跡は、15世紀前半、 畠山はたけやま 氏の居城として築城されたといわれて います。その後、 伊達だて蒲生がもう上杉うえすぎ松下まつした加藤かとう と城主がかわり、寛永20年 (1643)に 丹羽光重にわみつしげが 二本松藩10万700石で入城し、以後、丹羽氏の 居城として明治維新を迎えました。
 発掘調査によって、各時代の遺構が見つかり、さらに近世 城郭じょうかくへ の大規模な改修が寛永4~20年(1627~1643)の加藤氏時代に行われた ことも判明しました。
 二本松城跡は中世 城館じょうかんと 近世城郭が同一箇所で営まれ、かつその 変貌がよくわかる、東北地方を代表する城跡です。   二本松市教育委員会

二本松城址
箕輪門
 箕輪門は二本松城=霞が城の 正門にあたり、江戸初期城主 丹波光重の建造である。
城下箕輪村山中にあった樫の 大木を主材としたのでこの名が ある。
聳え立つ石垣と累々たる城壁 城門は十万石大名の威容を示し ていた。
戊辰戦争によって灰?と帰し たが再建の声高まり年余の歳月 と二臆円の費を殺して昭和五十七年 八月に完成をみた。  二本松市

二本松城址
 二本松市指定天然記念物
一、名称 二本松城跡
      箕輪門のアカマツ
 箕輪門北側の石垣上に植えられているアカ マツの古木群で、四本は三ノ丸への石段の南 東に段状に一列に並び一本は石段の裾右側の 石垣上に立っている。
 目通り幹囲が二〜二・五メートル、樹高九 〜 十二メートルあり、樹冠が傘状をしている のが多く長い枝を石垣下に垂れている。  これらの松は、土塀に代えて石垣上に植え られたものと思われ、明暦三年(一六五七)に 箕輪門周辺石垣の破損を修理した記録などか ら推察すると樹齢は三五〇年を越える。保存 状況が良好で樹勢は旺盛である。
 個々の木が美しい樹形を持つとともに全体 が周囲の石垣や石段とよく調和し、見事な景 観を呈しており、二本松城跡石垣の松の大木 として高い価値がある。
 平成十二年四月一日指定  二本松市教育委員会

二本松城址
 福島県指定重要文化財
  洗心亭  一棟
     平成十六年三月二十三日 指定
 二本松城跡南西寄り、霞ヶ池西畔の立腹に東面して 建つ茶亭である。桁行五間、梁間二間、浅い床と天地 付の棚および簡素な平書院を飾る北端の上座敷から中 座敷・下座敷を一文字型に並べて配し、東面から北面 にかけて幅二尺の神縁を外縁式に折り回す。柱や土壁 ・建具等をはじめ、軒天井や垂木などに至るまで、す べて数寄屋風の手法が採用されている。
 建立や沿革は、明治四〇年(一九〇七)旧二本松藩士 安部井磐根の執筆による「洗心亭記」が残され、これに よると前身は城内に建立された茶亭のうちの一棟「墨 絵の御茶屋」で、天保八年(一八三七)背方の崖崩れに より阿武隈川畔地蔵河原に移築され、藩主の釣茶屋と して利用されていたものであるという。明治維新後、 旧藩士の授産などに従事していた山田脩に旧藩主から 譲渡され、明治四〇年、城跡内の現在地(ほぼ旧所在 地と推定)に再移築された。二本松市歴史資料館所蔵 『安井時僚覚書』によれば、延宝七年(一六七九)には その存在が知られているため、創建は一七世紀中葉ぐ らいであったと推定される。
 大名による茶屋 (茶室) の県下における数少ない遺構 の一つとして重要である。  二本松市教育委員会

二本松城址
  

二本松城址
  相生あいおいの滝
 この滝は城内の自然地形を利用して作られ、昭和 九(一九三四)年九月に竣工した。名称は公募によ り「相生瀧」と名付けられた。城内中腹を東流する 二合田用水から水をひき、その水は箕輪門前の用水 路へと流れ込み、城下へとつづく。
「二合田用水」は、初代二本松藩主丹羽光重公が 十七世紀後半に算学者・磯村吉徳に命じて開削した もので、遠く安達太良山麓から約十八キロメートリ にわたり清水をひき、城内・城下の用水として利用 したものである。現在でも城内各所の水系に、この 江戸期の大土木工事の痕跡をみることができる。