博多千年門(福岡市)

博多千年門(福岡市)

  「博多千年門(はかたせんねんのもん)」
 「博多千年門」は、博多を訪れた観光客を歴史的文化財が多く残 る博多の寺社町エリアへと導、ウェルカムケートです。博多の繁 栄を願う地域住民、地元企業、行政が一体となって建設に取り組 み 平成二十六年三月に完成いたしました。
 門が建設された「承天寺通り」は、昭和四十年代に博多駅 の発展を目指した土地区画整理事業により萬松山承天寺の境 分断する形で整備されました。その後、周辺の御供所地区が 市都市景観形成地区に指定されたのを機に、平成二十二年道路 観を見直すための「承天寺道路景観検討委員会」を発足。分断さ れた承天寺境内と道路を一体化させ、沿道施設と調和した景観づ くりを議論する中で、新たな博多のシンボルとなるウエルカムゲ ートの建設が提案されました。歴史的文献によれば、博多から 宰府政庁へ延びる官道には、江戸時代に「辻堂口門(つしのど くちもん)」と呼ばれる博多の入り口となる門が存在していまし た。「筑前名所図会」には門の図も描かれています
 平成二十三年に門建設を福岡市に陳情、平成二十四年には地 域在民と企業や団体が一体となった「中世博多をモデルとした 景観形成期成会(のち博多千年門期成会)」を設立し、門の名称が 全国に公募されました。約千三百点の応募の中から、多くの人か ら広く親しまれる名称として「博多千年門」、歴史的な名称とし て「辻堂口門」に決定。博多の古い歴史を大切にし、これからの 千年の繁栄を願ってのものでした。

博多千年門(福岡市)
  門はかつての「辻堂口門」にならった木造の四脚門様式で、切 妻本瓦葺(きりづまほんかわらぶき)、中世博多の寺社様式を採 用しました。景観地区に配慮したテサインは堅固な構造で将来、 貴重な文化財となるでしょう。門扉の板材には、大宰府天満宮よ り寄贈された樹齢千年の「千年梓 (せんねんくす)」を用い、欄 間の彫刻には博多織の献上柄模様を採用しました。
 門の表に掲げられた扁額「博多千年」揮毫(きごう)は菅原 道真の子孫にあたる太宰府天満宮宮司、西高辻信良氏によるもの です。
 また、見返りの篇額「萬年正簿(まんねんしょうそく)」は、 承天寺の開山聖一国師が修行した中国杭州市の径山萬壽寺(きん ざんまんじゅじ)の現在職、戒興(かいこう)氏によるもので、 千年も万年も長きにわたり栄えることを祈念された言葉です。
 聖一国師が帰国した翌一二四二年に萬壽寺か火で焼失した際 に、博多より再建のために千枚の板を贈ったという史実(国宝 「無準師範墨蹟 癒(ふしけんしはんほくせきせきとくく」) も残されており、博多にの深いお寺からの贈り物となりました。  承天寺通りの再整備につきましては、京都を拠点に活躍する庭 師、北山安夫氏の監修によって、道路を小川に、歩道をその川岸 の遊歩道に見立て造りとなっており、仏殿と方大を結ぶ石畳は 石橋をイメージしています。岸周囲には植栽や自然石を配置して 「周辺環境と一体となったゆとりある空間」 を実現しました。
 門の建設に際し、地域の企業、団体、住民の皆様の多くの 芳志を賜り、期成会一同、より謝いたしております。この博 多千年門を博多の新たな一大観光シンボルとして大切に 守り続いてまいります。
博多千年門のアルバム