佳昌庭
桂昌庭
令和三年四月に開園した令和の枯
山水「桂昌庭」
令和という新しい時代に、桂昌院様
の御恩を今に伝えるため作庭した枯
山水庭園。石組みは桂昌院様の御生涯
を表しています。
桂昌院様のご生涯
寛永四年(1627年)桂昌院様は
京都に生まれ、幼少期の名をお玉(お
光とも)と呼ばれます。尼僧お万の方
(永光院)のお付きとして大奥に入り、
しばらく下積みを経験したのちに春
日局に見出され、春日局付部屋子とし
て勤めます。やがて三代将軍家光公の
側室となり、のちの五代将軍綱吉公を
授かります。その時に安産祈願を修し
たのが大聖護国寺二十四代住職亮賢
和尚でした。その後も、桂昌院様の亮
賢和尚に対する篤い信頼は変わりま
せんでした。
家光公が亡くなると側室方は落飾
します。この時に授けられた名が「桂
昌院」でした。館林藩江戸屋敷に住居
を変え、約三十年間は四代将軍家綱公
の時代が続きます。延宝八年(168
0年)綱吉公が将軍に就く時が来ま
す。綱吉公三〇才、桂昌院様五十三才、
五代将軍の時代となります。桂昌院様
は再び大奥に入り、大奥の頂点に上り
詰めます。
宝永二年(1705年)栄華を極め
た桂昌院様はその生涯を閉じます。
七十九才でした。
桂昌院様は、大聖護国寺に山門・不
動堂・客殿・五大明王・三十六童子・宝
剣等の宝物を寄進しています。残念な
がら堂宇は天保年間の火災により焼
失しましたが、五大明王と三十六童
子、合計四十一体の仏像は焼失を免
れ、現在修復が進められています。
これら諸縁と御恩に報いるため庭
園を「桂昌庭」と名付け、永代にわたり
語り継ぎたいと思っております。
なおこの庭園は、令和三年春彼岸に
八幡町山口昭二氏により奉納されま
した。合わせてここに記し感謝の意を
表します。 住職拝