長福寺

長福寺

 奈良時代の天平宝字元年(757年)女帝孝謙天皇の勅願により、唐の鑑真和尚 が真木山頂に開基し、弘安8年(1285)になり天台宗の円源上人が中興した。 明徳年間(1390頃)に真言宗の寺となり、山上に65坊が建ち並び隆盛を きわめていたが、享保16年(1731)寺領を30石に減らされたため、僧房を 22カ寺に合併した。その後明治維新で4カ寺となり明治9年奥の院の長福寺 ただ1カ寺となった。大正14年消失し昭和3年現在地に移転した。所蔵の国指定重要文化財 は次のとおりである。

十一面観音立像  明治34年
 長福寺の本尊で像高2.58m、檜の寄木造り、風貌は豪放で平安初期行基の作と伝えられている。


長福寺

 三重塔  大正10年指定
 3軒面、こけら葺、棟札には鎌倉中期弘安8年(1285年)の再建と記され、 県下最古の木造建築である。全体の均衡がよく、細部も雄大堅実でよく鎌倉時代の 特色をしめしている。昭和26年解体し山上より現地に修理移築した。 総高22.07mである。

十二天像図  12幅 明治34年指定
 従1.10m、横0.37mの絹本緒色画で、帝釈、水、?魔、毘沙門、伊舎那、 風、羅刹、火、梵、地、日、月の十二天からなり、南北朝時代増吽の作と伝えられている。

両界曼荼羅図  2幅 明治34年指定
 従1.65m、横1.25mの絹本緒色画で胎蔵界、金剛界の二幅からなり、室町時代、 梅岡備後守の作である。

不動明王像図  1幅 明治34年指定
 従1.34m、横0.74mの絹本緒色画で、平安時代の春日基光の作と伝えられている。

 昭和55年3月
 平成27年6月改

        真木山長福寺
        美作市教育委員会