高山寺

高山寺

 高山寺
 鎌倉時代の前期、 明恵上人みょうえしょうにん(1173〜1232年)が 再興した寺院で、日本の茶の発祥 の地として知られる。明恵上人は 栄西禅師が宋から持ち帰った茶の 実を山内で育て始めたと言われて いる。眠りを覚ます効果があると も言われていたため、明恵上人は 衆僧に飲茶をすすめたという。
明恵上人は高山寺の茶の苗を 宇治へ移植し、その後、全国に広 まっていった。中世以降、栂尾とがのおで 栽培された茶は本茶、それ以外 は非茶と呼ばれ、毎年天皇への 献茶も行われた。
 京都市

高山寺
 栂尾山高山寺 石水院
 高山寺は、建永元年(1206)、明恵上人が 後鳥羽上皇の勅願によりこの地を賜り、華厳 宗の道場として中興開山した寺院である。草創 以来、皇族・公卿・武士の要人たちの庇護の 元、学問寺として興隆した。寺宝は典籍を中 核に、国宝・重要文化財を含む一万二千点余 が伝わる。平成六年(1994)、世界文化遺 産に登録された。
 石水院(国宝 鎌倉時代)は、明恵上人時代の 唯一の遺構であり、上人が後鳥羽上皇より学問 所を賜ったものとされる。簡素な佇まいの寝殿 造風住宅建築である。明治二十二年(1889)、 金堂の東より現在地へと移築された。西正 面は、かつて春日明神・住吉明神の拝殿であっ たところで、今は善財童子像が置かれてい る。欄間には、富岡鉄斎筆の木額「石水院」が かかる。南面内部には、寺号の由来となった後 鳥羽上皇の勅額「日出先照高山之寺ひいでて まずてらすこうざんのてら」や、明恵 上人筆とされる木額「阿留辺幾夜宇和あるべきやうわ」が当時 より伝わる。
 京都市
 
高山寺
 京都市指定名勝
遺香庵庭園
 遺香庵庭園は、明恵上人の七百年遠忌を記念し て、昭和六年(1931)に作られた茶庭である。
 近代の茶道の普及に努めた高橋箒庵の指導のも と、作庭を小川治兵衛(植治が、建築を三代目 木村清兵衛が行った。
庭園はアプローチと、茶室遺香庵の雲地、広間 の露地からなっている。
 庭園の最上部にある腰掛は、庭園全体を見下ろ すという茶庭としては珍しい構図をしている。
 遺香庵の露地は、飛石が打たれ、蹲踞、灯籠が 据えられている。貴人口の沓脱石は、石を寄料集 めて作られ、茶庭のアクセントになっている。
 植栽は、イロハモミジ、アセビ等の他に、ネズ ミモチが植えられるなど、千家の露地風に植栽を まとめようとする姿勢がうかがえる。
遺香庵の茶室、広間等は、千家風を主体としつ つも変化を加えた独特の作りとなっている。
 小川治兵衛の作品の中でも、茶庭として作られ た、独特の意匠を持つ庭園として貴重である。
 平成七年三月三十日指定
 京都市