南照寺

南照寺

 南照寺・松尾神社
 桓武天皇延暦かんむてんのうえんりゃく 24年(805) 宗祖伝教大師美松山麓しゅうそでんきょうたいしびしょうさんろく草堂そうどう建立こんりゅう、 これが 南照寺なんしょうじ開基かいきである。のち 文徳天皇ぶんとくてんのう仁寿じんじゅ 3年(853) 領主藤原頼平りょうしゅふじわらよりひら山城やましろの 国より 松尾明神まつおみょうじん同所どうしょ勧請かんせいし、 南照寺はその 神宮寺じんぐうじと なった。
 至徳年間しとくねんかん(1384〜1387) 火災かさいにより 焼失しょうしつ至徳しとく3年(1386) 現在地げんざいち再建さいけん現在地げんざいちは 元もと、岡之山城跡おかのやましろあとである。
 天然記念物の「うつくし松まつ」は 当明神とうみょうじんの ご神木しんぼく として 地域住民ちいきじゅうみん信仰しんこう山林さんりんまもっている。
 本尊薬師如来ほんぞんやくしにょらい秘仏ひぶつで 33年目に 開扉かいひ内陣ないじんには 本尊ほんぞん中心ちゅうしん十二神将じゅうにしんしょう不動明王ふどうめいおう神変大菩薩しんへんだいぼさつ十一面観世音菩薩等じゅういちめんかんのんぼさつとうまつりほか本坊ほんぼう内仏ないぶつ阿弥陀如来あみだにょらいまつり減罪げんざい道場どうじょうもうけている。

南照寺
 
 
南照寺
 
 
南照寺
 松尾芭蕉 句碑

     西行の 庵もあらん 花の庭 
                 はせを

 元禄六年(1693年)芭蕉五十一歳の句

屋敷の庭には大きな桜があり、その見事さは
吉野の山を思い出させる。西行もこんなところに
居を構えていたであろうと想像し、招かれた
人の庭をほめた句