清水寺

清水寺

  清水寺
本尊 千手觀音
宗派 真言宗豊山派
 大同三年(八〇八)征夷大将軍 坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろが、 蝦夷征討の兵士の健勝と武 運長久を祈り、京都東山の清水寺から 勧請かんじょう開基かいきしたと伝えられている。
 正面が観音堂で、 大悲閣だいひかくと呼び、堂 内に 狩野常信かのうつねのぶ筆の 大絵馬一対があり、 和算の大家斉藤宜義奉納の算額や高崎 出身の浮世絵師、 一椿奇芳輝いつちんさいよしてる の献額十 六面が観音堂の廻廊を飾っている。
 向かって右の田村堂には、下仁田戦 争で戦没した高崎藩士の木像が納めら れている。  高崎市 社高崎観光協会
 

清水寺
 高崎市指定重要文化財
 芭蕉花の雲句碑
       所在地 高崎市石原町二四〇一
       指 定 昭和五十六年二月十三日
 この句碑は、江戸時代末期の上州随一の俳人であ った高崎田町生まれの宮所(志)西馬が、芭蕉俳 諧の流れをくむ者として、上州内外の俳人と共同で、 芭蕉百五十年遠忌の前年にあたる天保十三年(一八 四二)春に建立したものである。この時、記念の大 俳句会も開催している。
 碑面の句は当代第一級の家であった越後出身の 巻菱湖が作をとり、碑背の文を常陸国牛久藩主の大 内蘭長が書いたものである。
 県内約二百基ある芭蕉句碑のうち、由緒において その右に出るものはないであろう。

句 碑
 碑面 正風宗師之碑(案額)
    観音の 甍(いらか)みやりつ はなの雲
   "かんのんの いらかみやりつ はなのくも" 
                   芭蕉
 碑背 ?時天保十三龍集壬寅三月
    五品多々良大内南長
 石質 安山岩(俗称 碓氷石)
 寸法 高 一六〇センチ
 幅  一三六センチ
 厚さ 三二センチ
        平成八年三月
        高崎市教育委員会