承応元年(1652年)11月、幕府により江戸の飲料水不を解消するため多摩川からの上水開削が計画され、庄右衛門と清右衛門の兄弟がその工事を請け負い掘り上げた。
その功を認められ玉川という姓を名乗ることが許された。工事費用として幕府から6000両を与えられたが費用が足らず資産をつぎ込んで完成させた。羽村取水堰から
四谷大木戸まで43キロと100メートルの高低差を現在のような高度な計測器具もなく、ほぼ1年間で掘りあげて江戸市民に飲料水として提供した。この玉川
上水を徒歩あるいは自転車で橋の写真を撮りながら歴史を振り返ってみる。たまがわじょうすいには90を超える“橋”が架かっているが東京に近い処は歩道橋となり
川は地下にうずもれていた。
散策初日のコース、
二日目のコース、
三日目のコース、
四日目のコース、
最終日のコース
たまがわじょうすいの橋―1 | 初日は金毘羅橋からスタートして、見影橋、新家橋、上水橋、稲荷橋、新天王橋、天王橋、 松中橋、美堀橋、拝島上水橋、ふたみ橋、こはけ橋、平和橋、日光橋、どんぐり橋の撮影 |
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たまがわじょうすいの橋―2 | 武蔵野橋、五丁橋、山王橋、福生橋、青梅橋、牛浜橋、かやと橋、熊野橋、清巌院橋、新橋、 宿橋、宮本橋、加美上水橋、新堀橋、堂橋、羽村大橋、羽村橋そして、羽村兄弟の像。 |
たまがわじょうすいの橋―3 | 二日目は、自宅から自転車で宮の橋からまじめ東京方面へ向かう。千手小橋、千手橋、清願院橋、 上水小橋、西中島橋、小川橋、東小川橋、くぬぎ橋、寺橋、いこい橋、栄光橋、水車橋、新小川橋、 鷹の橋、東鷹の橋の撮影。 |
たまがわじょうすいの橋―4 | 久右衛門橋、鎌倉橋、小松橋、商大橋、一位橋、桜橋、八左衛門橋、山家橋、喜平橋、小桜橋、茜屋橋、 貫井橋、(行幸の松とその碑)、小金井橋…で二日目終了。 |
たまがわじょうすいの橋―5 | 三日目は陣屋橋からスタートして、新小金井橋、(浴恩館)、関野橋、梶野橋、新橋、あけぼの橋、 くぬぎ橋、もみじ橋、境橋、うど橋、独歩橋、桜橋、松美橋、大橋、欅橋そして三鷹駅で終了する。 |
浴恩館(小金井市文化財センター) | 浴恩館(小金井文化財センター)は市内で発見された古文書などの資料や民具などの文化財を 保存展示してある。この建屋は昭和3年京都で行われた御大典で使用された建物を日本青年団が譲り 受け、移築してリーダー養成所として利用した。また、小説家の下村湖人が所長として招かれる。小説 “次郎物語”はここでの出来事を描いたものであり、傍に立っている“空林荘”は湖人の生活の場所で あり、小説の構想を描いた場所でもある。 |
たまがわじょうすいの橋―6 | 四日目からは自転車での撮影をあきらめ、三鷹駅まで電車を使い、徒歩で散策開始をした。三鷹橋から スタートする。むらさき橋、万助橋、ほたる橋、幸橋、新橋、松影橋、井の頭橋、若草橋、宮下橋、東橋、 長兵衛橋、どんどん橋、牟礼位橋、兵庫橋、岩崎橋。井の頭線の久我山駅から吉祥寺、立川へ戻る。 |
たまがわじょうすいの橋―7 | 最終日の五日目は、立川から吉祥寺、井の頭線の久我山へ。前日の岩崎橋まで戻り、早速スタート する。浅間橋、浅間橋歩道橋、昌栄橋歩道橋、天神橋歩道橋、庚申橋歩道橋、そして玉川上水第二公園 ・第三公園と進み小菊橋、下高井戸橋、明大橋、久左衛門橋、東京都水道局の和泉給水所を通り、 京王線代田橋付近の甲州街道と線路を渡り、ゆずり橋、大原橋、稲荷橋、第二号橋、南どんどん橋、 笹塚駅前の三号橋、笹塚橋の撮影 |
たまがわじょうすいの橋―8 | 北澤橋、四條橋、五條橋、六條橋、常盤橋、相生橋、代々幡橋、山下橋、 美寿々橋、二字橋、西代々木橋、新台橋、新代々幡橋、大右衛門橋、改正橋、伊東小橋、伊藤橋、 三字橋、天神橋、勿来橋、玉川上水モニュメント、千駄ヶ谷橋、葵橋、四谷大木戸(水番所跡)… 新宿から立川へ戻る。自転車置き場のイルミネーションがとても綺麗だった。18時 |