会津の霊地めぐり

会津


 白虎隊や若松城など様々な歴史を持つ会津若松である。 ここで紹介する歴史は偶然見つけたところである。ひとつは、野口英世のゆかりの寺。 また、東北では珍しい三重塔である。


















中田観音 弘安寺

弘安寺

柱に抱きつくと長患いをせずにあの世へ行ける「抱きつきの柱」がある。また、野口英世の母が 月に一度、40キロ離れた猪苗代から一晩かけてお参りにしにきたことでも有名である。 堂内中央に飾られている写真は、英世が帰省した時に 中田観音様に英世と母、小林先生が出世した英世のお礼まいりをしている様子である。
弘安寺   

法用寺

法用寺



法用寺  


龍興寺

龍興寺


慈覚大師(じかくたいし)によって開山した天台宗の古刹である。 本尊の十一面観世音菩薩は浮身観音とも呼ばれている。 円仁が一字書くごとに三礼する「一字三礼」という方法で法華経を写した。 この方法で平安時代に30人の方々で写した「一字蓮台法華経開結共」は国宝になっている。
龍興寺


伊佐須美神社

伊佐須美神社


奥州二宮
岩第一宮 伊佐須美神社の御事
会津総鎮守

 御 祭 神

 伊弉諾尊いざなぎのみこと伊弉冉尊いざなみのみこと
 大毘古尊おおひこのみこと建沼河別命たけぬなかわわけのみこと
 (御祭神四柱を総称して伊佐須美大明神と奉称する)
 例大祭 九月十五日(九月一日から九月十七日まで)
 御田植祭七月十二日

    由 緒

 伊佐須美神社の創祀そうし起源は 悠久二千有余年の昔第十代崇神天皇 十年四道将軍派遣の時に始まり古事記には 『東の方よりけつる建沼河別、 其の父大毘古と共に相津にき 遭ひ給ひき故れ其地を相津とふ』と 記録されている如く会津地名発生の 伝承社であります。
 即ち往き合い給うた時国家鎮護の為、国土開拓の祖神おやがみ (諾、冉二神)を会津高嶺の聖地天津嶽みかぐちだけ (新潟県境)に鎮斎されたのが 始まりと伝えております。その後博士山、明神岳を経て欽明天皇十三年(552) 当地に御鎮座されたのであります。

伊佐須美神社


立木観音堂

立木観音堂

立木観音堂
 観音堂及び千手観音菩薩の其々が国重要文化財の指定を受けている。観音堂は寺伝によると建 久年間(1190〜1199)に建立されたといわれ、架構や細部手法などすべて和様で構 成されている。
 千手観音菩薩は塔寺の立木観音といわれるケヤキ材の一木造の千手観音像で、 像高7.42メ ートル、総高は8.5メートル余りの大像である。
なお、この千手観音には眷属として二十八部衆と風神・雷神合せて30?が完全な形でそろ っている。
 御堂は、鎌倉初期の純和様建築で寄棟造りと言われ、装飾の 少ない貴重な建造物として評価が高い。

仰詠歌
遥るばると 参りて拝む恵隆寺 いつも絶えせぬ松風の音

鳥追観音堂

鳥追観音堂

 広い寺域の本堂南方に建つ仏堂で、東側参道入ロには仁王門を 配しています。観音堂は畳敷きの内陣に 須弥壇しゅみだん を置き、聖観音を 安置した厨子が収められています。正面(東)と西面にそれぞれ唐 破風からはふ向拝こうはいを つけ、南面には唐破風を飾って 三方出入ロとするな ど、庶民浄土信仰の強い影響を受けた特異な構造の建物です。
 三手先みてさきの 深い軒組をはじめ、 各部とも禅宗様の入念なっくりで、向拝軒回りや 蟇股かえるまた などには天地陰陽、動物、花鳥などの 華麗な形刻がなされ、内部の天井にも絵画が描かれるなど装飾性に富んだ 近世初期の典型的な仏堂といえます。
この建物の主要部は十七世紀初頭の手法によるものと考えられ 「会津旧事雑考」などにも、慶長十六年(1611)の大地震で倒壊 し、 同十八年(1613)再建したという記録があります。
また、堂内には、木造聖観音立像ほか三?の福島県指定重要文 化財(昭和三十四年三月十七日指定)が安置されています。

鳥追観音堂


圓蔵寺

圓蔵寺

 福満虚空蔵菩薩圓蔵寺ふくまんこくぞうぼさつえんぞうじ は仏都・会津を代表する名刹のひとつである。 日本三大虚空蔵菩薩に数えられるとともに、奥会津最大の仏教拠点でもある。 大同2年(807年)名僧徳一大師によって開かれ、本尊の虚空蔵菩薩像は 弘法大師空海が手掛けたと伝えられている。
 本堂である「菊光堂」は高台にそびえ立ち、その舞台から望む只見川の流れは まさに絶景で、桜、川霧、紅葉、雪などと季節によって 多彩な表情を見せる。また、本尊の木くずがウグイに なったとされるウグイ伝説、赤べこ伝説など、数多くの逸話に 彩られた名所としても知られている。
 菊光堂の外回廊を巡った裏手には、会津三十三観音の番外編「柳津観音」が奉られている。

圓蔵寺

 

圓蔵寺

 本堂である菊光堂きっこうどう
 

圓蔵寺

 奥乃院弁天堂  

左下り観音

左下り観音

 会津三十三観音第21番札所 左下さくだり観音、 建長7年(830)徳一大師が建立したといわれている。鎌倉時代には、修験道で修行を行う 前にこもるお堂として使われていた。
 岩を切り開いて構築した五間 (約9メートル) 四方、高さ四丈八尺 (約14、5メートル) の 見事な三層懸造りの堂は、清水の舞台を彷彿させる。もともと回縁はなかったが、江戸時代「三 十三観音めぐり」が盛んになったころに現在の形になったとされている。
 本尊は聖観音、本尊のほかに石像の秘仏が安置され、別に頸無(くびなし)観音と呼ばれてい る。ごく小さい柱(三寸) が隠されており、この柱を見つけた人に幸福をもたらすといわれている。  

左下り観音


左下り観音


左下り観音

 舞台からの眺望