矢越神社・琴平神社新築再建記念碑
矢越神社・琴平神社の由来
白河市指定史跡「矢越の森」?に鎮座すろ矢越神社には、
御神宝として
銅造の御正躰
(縣仏)が伝来します。
直径は約四〇・六pで、中央には十一面観音像(像高一三六p)が、
その両脇には
華瓶が
鋲で留められており、
裏面には十一面
観音をあらわした梵字と
左記の銘があります。
(右周縁部) 陸與日河郡金子村役社藤木稲荷明神御正殊閉眼供潔
遷宮上?陣奉納之金龍山長福寺開山傳燈大阿闍梨範永(以下不明)□
(左周縁部) 千茲宝永二乙国十一月吉辰金龍山長福寺代四十一世□
傳燈大阿闍梨法印有口修補武州江戸神田住治工今井信濃守□
(※口は不読字)
銘によれば、この御正森は矢越神社の前身の孫衣稲荷の
遷宮の
際に奉納され、
宝永二年(1705)に修復いました。
右周縁部の銘は製作当初のものの写しとみられ、周線部の
名は修復時のものです。 調査の結果、鏡面や華瓶なとは
修復時のものですが、十一面観音本体は当初のもので、
鎌倉時代の十三世紀後期頃の作と考えられることが分かり
ました。このことにより蘇衣稲荷は鎌倉時代後期には在し、
釜子村の惣社であったとみられます。
矢越神社の南、約600mには享保六年(1721)四月、
白河藩主松平大和守に
よって造営され、寄進されたと伝えられる
琴平神社も鎮座しています。しかし、平成二十年五月□
琴平神社が、同年九月九日には矢越神社も火災で全焼しました
御正体は火災に遭いましたが幸いにも焼失を免れました。
その後、氏子各位に神社再建の熱意が高まり、氏子の皆様
の協力によって再建を実施するに至りました。
再建建設委員会
平成二十二年四月吉日建
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