尾道
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尾道で2時間ほど寄り道をした。小さな町だから簡単に見学できると思っていたが、
見学コースのほとんどが坂道の途中である。古寺をめぐっての散策で、初めに持光寺からスタートし、
光明寺、海福寺、宝土寺、天寧寺、妙宣寺、茲観寺、善勝寺、大山寺、持善寺、西國寺、浄泉寺の
門前を撮ってきた。また来ますよと言いながら速足で回った。各寺院の説明は説明板からの抜粋です。
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持光寺(日輪山 五劫院 持光寺)は承和年間(834年〜848年)
、伝教大師の高弟持光上人により天台宗の寺として草創された。本尊は立像・
聖観世音菩薩の霊像であります。
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光明寺は平安の初期、承和の頃(834〜847)慈覚大師
円仁の草創で天台宗であったが延元元年(1336)足利尊氏西下の際、従軍僧として
尊信篤かった道宗が、この寺の本堂を再建し浄土宗に改めた。
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海福寺は嘉暦三年(1328)他阿上人の開基。本尊は阿弥陀如来。
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宝土寺、開基は融海意観が貞和(1345〜1349)の頃に
開いたと伝えられている。本尊は阿弥陀如来。
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天寧寺の開基は貞治六年(1367)に尾道の人万代道円の発願に
より、足利二代将軍義詮が父尊氏の遺志をついで工費を寄進し、普明国師
を講じて開山したもので、宗旨は臨済宗、創建当時は東西三町にわたる宏壮な大寺院
であった。本尊は宝冠の釈迦如来。…元禄年間(1688〜1703)に、
三原の宗光寺の一雲椿道によって曹洞宗に改宗した。
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妙宣寺の開基は文和三年(1354)に大覚大僧正妙寛により
開山したと云われている。
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慈観寺
は貞和四年(1348)に慈観上人が開いたもので、はじめは栗原
の世計橋付近に建立したが、元和(1615)の頃、現在地に移した。
本尊は、阿弥陀如来で、時宗一遍上人、本山は神奈川県藤沢遊行寺である。…
慈観寺は別名「牡丹寺」と呼ばれ春には境内の牡丹が咲き乱れます。…健康長寿、知恵と
子供の守護仏である虚空蔵菩薩様もお堂でお祀りしています。
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善勝寺の開基は、遠く天平の代、諸国に国分寺の建立された頃と伝えている。
古くは禅宗で善性寺といい、天正年中(1573〜1591)尾道権現山城
(千光寺山城)主杉原民部太夫元恒の菩提所となった。杉原氏の没落後は時運も衰えたが
、慶長(1596〜1614)の頃、性意が中興して真言宗にかかわり善勝寺と改名した
。本尊は聖観音菩薩。これは一名「萩の観音」とも呼ばれている。
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大山寺は古くから「天神坊」とも呼ばれ、西どなりの御袖天満宮との深い関係
をしのばせている。開基の詳細は不明であるが、平安時代の初期、空海(弘法大師)
入唐の頃には既に開かれていたと伝えている。寺に祀られている日限地蔵は
心願成就の守り本尊として参拝祈願する人が多い。
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持善院は摩尼山塔頭寺院として、西国寺再興の僧慶?和尚の開基と伝える。
文化・文政ころの水害、山津波に再三被災したが、文政12年(1829)
大胆那灰屋茂助の寄進銀一貫目などによって本堂・庫裡を一棟として再建された
ことが棟礼によって知られている。…
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西國寺
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浄泉寺の本尊は阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)開基は、大永五年(1525)
に宗円が現在の木ノ庄町市原の地に一精舎を建立したのが始めで、
その後慶長元年(1596)に現地に道場を移した。…
行ってみたら、こんなところ