成相寺

成相寺

 世屋山 成相寺なりあいじは、 西国二十八番霊場として、古くから有名であり、年中参詣人の絶 えぬ山である、寺伝には文武天皇 慶雲元年 (704) とあり、開基真応上人が何人である か詳かでない。しかし、その一千年に余る歴史は、対岸文殊堂および特別名勝天橋立と併 せて、実に三位一体的存在であるといってよい。 当山縁起に、無遠禅師鹿肉のことがあり、その他怪異の説話もあり、いずれも霊場に ふさわしいが、殊にかの大江山鬼退治の源頼光が 納めた願文を有し、それに、「此の度当国大江山夷賊追討の為勅令を蒙る」出々とあって、 赤青の鬼賊を想像させる何ものもない。下つて足利期には一色対武田の戦いが くのりかえされ、それはこの霊山の大きい悲しみであり、また償いえぬ損失であった。 なお当寺に数々の寺宝があって、なかでも「丹後 国諸荘郷保総田数帳目録」および兆殿司筆と伝える「阿弥陀像」一幅は、ともに国の 重要文化財に指定されている。 なにはともあ信仰と景観を併せた当山は、まことに日本一の霊場である。

波の音 松のひびきも 成相の
    風ふきわたす 天の橋立 (御詠歌)
     宮津市文化財保護委員会  

成相寺

 本尊は身代わり観音、美人観音として名高い聖観世音菩薩である。 西国三十三所巡礼の観音霊場二十八番札所で、平安時代後期の「梁塵秘抄」、 「今昔物語」にも登場する。 江戸時代の宮津藩は、丹後ちりめんの生産地であるとともに、流通の拠点として 商業・港湾都市として多くの人々が訪れたといわれており、この成相寺も民謡 「宮津節」にも唄われるほど賑わった。

成相寺

 左甚五郎作 真向の龍

成相寺

 五重塔
雪舟の「天橋立図」にも描かれている。この五重塔は、1998年平成10年に鎌倉時代の 建築様式で復元したものである。

成相寺

 成相寺からの天橋立。