丹後大仏

丹後大仏

 明治三十三年ここ筒川の地に建設された筒川製糸工場は、順調な発展を遂げ、 農村経済の発展に著しく貢献していたが、明治四十二年工場を焼失し莫大な損失を 蒙ったのである。
だが、役職員一同一致団結して工場復興計画に協力し工場を復興させた。
大正七年十月、工場長品川萬右衛門は従業員の慰労のため、全員を引率して 東京見物の途に着いたのであるが折り悪く悪性の流行性感冒に見舞われ、 帰郷後四十二名の死者を出すに至った。
 工場長品川黄右衛門は、殉職者の慰霊のため、 ここに青銅の露天大仏を建立したのであるが、太平洋戦争中鉄類の供出にあい、 昭和二十年現在の石仏大仏を再建し今日に至るものである。
   丈六尺五寸 中五尺八寸 奥行四尺
爾後、毎年四月八日 花祭りを行い殉職者の冥福を 祈り居るものである。

丹後大仏