知恩寺多宝塔

知恩寺多宝塔

 国指定重要文化財(建造物)
 智恩寺 多宝塔(室町時代)
 宮津市字文珠 智恩寺
上重は円形で亀腹を付け宝形の屋根を載せ て相輪を付し、下重は周囲に方形の裳階を付けた形式の塔を多宝塔という。
本寺多宝塔は、上の柱等に記される墨書銘によって、 丹後国守護代で府中城主延永修理進春信によって建立され、 明応十年(1501)に落成したことが知られる。
 下重には来迎柱が立ち、前方に須弥壇をつ くって大日如来が安置されている。来迎壁の背面には造塔の奉行も 務めた丹後一宮大聖院の住僧禅海により片足を上げた不動明王が描かれており、 「ハ十余歳書之・智海」の署名がある。
 本塔は市内で唯一の中世建築遺構であり、かつ唯一の国指定重要文化財建造物である。 丹後地方には残存する古建築が極めて少ない なかで、創建の事情、 年代が明らかな本塔は 貴重な存在である。
     宮津市教育委員会

知恩寺

 文殊堂、雪舟の「天橋立図」に多宝塔等と共に描かれている。

知恩寺知恵の輪

 智恵の輪
 この石造りの輪を、「智恵の輪」と言う。古来、 舟航の安全にそなえた輪灯籠で、享保十一年 (一七ニ六)、 貝原益軒の著した『扶桑名勝図』の 一冊として刊行された 「丹後与謝海天橋立之図」 中、「天橋山智恩寺」海岸に、 すでにこの輪灯籠 が見られるから、その由来は甚だ古いと言わねば ならない。
 この輪灯籠をなぜ「智恵の輪」と言うかは、 いろいろと説があって明らかではないけれども、 遠 い昔から智恵の文殊さまの境内にあって、その 「九世の渡」 の安全を守ってきた輪灯籠が、そのまま文殊さまの慈悲の光を 海上に放つものと見る 昔の人々が、これを文殊さまの「智恵の輪灯籠」 と呼びれるのは、 きわめて自然のことであった。
 したがって、この「智恵の輪灯籠」の輪をくぐり 抜けた者には、文殊さまの智恵を授かるご利益が あるという話など、 これまたきわめて自然な、しかもほほえましい諸人のユーモアではなかろうか。 誠に、「智恵の輪」とは、文殊さまの境内に建っこの輪灯籠にのみ、 ふさわしい呼び名である。

智恵の輪も文殊汀に時雨居り  浩一露

          宮津市教育委員会