比叡山延暦寺

比叡山延暦寺

 比叡山延暦寺ひえいざんえんりゃくじ とは大きく東塔・西塔・横川 (通称三塔)にわかれ、 この御山にあるすべての 堂塔伽藍を総称して言いあらわしたものです。 千二百年の昔、伝教大師(最澄上人)により 開かれたのに始まり、 のち法然・親鸞・日蓮・道元・ 栄西・一遍など各宗派の祖師方が若き日々を ここで学ばれました。それゆえこの山は日本 仏教の母山として千古の歴史を 今に伝えながら霊山としてたたえられています。
東堂とうどう 
 このあたりは延暦寺東塔であり、千二百年間絶えたことのない上滅の法灯が 輝く根本中堂 (国宝)をはじめ、各祖師像を安置した大講堂 や比叡山中一番清浄な浄土院その他戒壇院・ 阿弥陀堂・文殊楼などあります。 また昭和五十五年十月には法華総寺院東塔も再建落慶されました。
西塔さいとう
 東塔とは一転して静寂の地であるのがこの延暦寺西塔です。 朱の色もあざやかな弁慶のにない堂(常行堂・法華堂)や椿堂、 西塔の中心本堂である鎌倉建築の釈迦堂また何年もの間、 風雪にたえた弥動の石仏などあります。その他一般の人達の研修道場居士林 もあります。あの有吊な武蔵坊弁慶が住んででたのもこの地域です。
横川よこかわ 
 比叡山の中でいちばん北に位置する延暦寺横川には聖観世音菩薩を本尊とする 舞台づくりの横川中堂(新西国第十八番札所)を中心におみくじの元祖・おつけもの の元祖と言われる元三大師堂(四季講堂)また念仏思想発祥の基となった 恵心堂などがあります。それに野鳥の声を聞きながら西国三十三所 観音石仏をめぐれるのも都会では味わえない趣きを残している地域です。


比叡山延暦寺

 大講堂 (重文):東堂
天台座主第一世義真和尚の建立によるもので、僧侶が学問研鑽の ため論義する道場です。  ことに、慈恵大師が始修され、 四年目ごとに行われる比叡山の古 儀「法華大会広学堅義《は、一人 前の天台僧となる為の重要な儀式、 階梯として現在につづいています。  現在の建物は、昭和三十一年の 旧堂焼失後、山麓坂本にあったものを移築したもので、 堂内には叡山で研修された各宗派の御開山の尊像が安置されています。


比叡山延暦寺

  


比叡山延暦寺

 福田海奉紊牛像 :東堂
 宗教法人福田海(岡山市)は、一生を人間 のために尽くす牛の供養を実践されること でも知られている。
その開祖中山通幽師は、明治維新の神仏分離 や境内地没収などで、延暦寺が窮乏を極めたとき、根本中堂の上滅の法灯のための種油を、 自ら背負って寄進を続けられた。
その深いご縁を以て明治三十一年九月上滅の 灯は福田海に分灯され、更に昭和九年秋、 根本中堂近くの参道に牛の銅像が寄進された。 このとき牛像の裏側には奉紊の趣旨が 「年々屠殺の牛魂追福のためなり《と刻まれていた。その後、銅像は第二次世界大戦のため 供出され、代わりに石像がここに安置された。


比叡山延暦寺

 万俳堂 :東堂
このお堂は日本全国の神社仏閣の 諸仏諸菩薩諸天善神を勧請し合せて 世界に遍満する神神をもともに迎えて 奉安して日夜平和と人類の平安を 祈願している平成の新堂である 回峰行者は毎日暁天にこの地に立って 世界中の神仏に所願の成就と世界の 平和を祈願している
 参拝者の皆様どうぞ堂内に入られて 日日夜夜のご守護を感謝し平和と それぞれの願いを祈願して下さい
      延暦寺


比叡山延暦寺

 根本中道は工事中であった。


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 伝教大師童形像 :東堂
昭和十二年、比叡山開創千百五 十年を記念して建立されたもので す。伝教大師のご遺訓に
 我れ生れてよりこのかた 口に 麤言そげん(荒々しい言葉)なく手に 笞罰ちばつ(笞むちで打つこと)せず 今我 か同法(道を同じくするもの)童 子を打たずんば 我が大恩となさ ん 努力せよ 努力せよ とあります。
 伝教大師の児童に対する心を世 に伝えるものとして、全国小学校 児童の一銭醵出金によって建立されました。


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 延曆寺文殊楼えんりゃくじもんじゅろう 一棟 (大津市坂本本町) :東堂
文殊楼は、延暦寺根本中堂こんぽんちゅうどう の正面の屋根上にあって、 ほぼ東を向いて建っています。桁行けたゆき三間、梁間はりま二間、二重、 入母屋いりもや造、銅板葺の構造を持ち、 一見楼門のように見えます。楼上には文殊菩薩もんじゅぼさつが 安置されています。
 創立は根本中堂と同じく古いものです。寛永の 復興にあたって根本中堂、 講堂とともに再建され ましたが、寛文八年(一六六八)に焼亡してしまいました。 そのためすぐに再建された文殊楼が現在のものです。寛永の建物より小規模となり、 全体的には唐様からようが取り入れられていますが、古い和様も忘れずに入って いる所に苦心さがしのばれる折衷せっちゅう様式となっています。 いずれにしても江戸時代の代表的な様式の建造物です。 平成二八年(2016)に国の重要文化財に指定されました。

               大津市教育委員会
               平成29年(2017)3月


比叡山延暦寺

 「世界平和の鐘《(World Peace Bell) の由来 :東堂
当地に設置された「世界平和の鐘《(World Peace Bell) は、 世界106ヵ国から提供を受けた。 コインやメダルを銅と合金して鋳造したものです。
ニューヨークの国連本部に寄贈された「世界平和の鐘《の趣旨を継承するもので、 戦争の悲惨さ、 核兵器の廃絶、平和の尊さを訴え、 世界人類が一つになった平和の象徴といえる「鐘《です。 国連本部に設置されている「鐘《は毎年国連総会開催月の9月21日を 国際平和の日と定め、歴 代の国連事務総長が世界平和を祈念し て打ち鳴らされます。この鐘の響きはまさに国連のあり 様を示し、平和のシンボルとして貴重な役割を果たしています。

当協会は2007年度比叡山宗教サミット20周年記念に際して、 政治、宗教、人種、信条を超 えた、平和のシンボル「世界平和の鐘《を、 比叡山延暦寺へ世界第21番目に寄贈しました。
当地及び世界各国に設置された「世界平和の鐘《の音は、 大きな響きの強さと厳粛な音色の透明 と共に平和の大切さを思い起こして、 未来永劫にわたり平和の精神を伝えていくことを願っ ます。
                      合 掌
                  2007年(平成19年)8月4日

ワールドピースベルアソシエーション世界本部
   World Peace Bell Association, World Headquarters
    会 長 吉田 富治郎 副会長 飯 住 三郎
              副会長 栗 原 公香
             副会長 金子美禰子


比叡山延暦寺

 出世大黒天堂 :東堂
伝教大師が、根本中堂を建て られる折、守護神として大黒天 を祀り、一山の平安と一般庶民 の財福を祈ったのが始まりで、 豊臣秀吉公も開運と福徳を祈願 した故事もあり、一吊出世大黒 天として、人々に深く信仰され ています。


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 戒壇院 【重文】 :東堂
僧侶が大乗戒(規律)を受ける 比叡山中で最も重要なお堂で、わ が国に始めて大乗戒坦院を建立す べく、心血をそそがれた伝教大師 の没後七日目に勅許を受け、天長 五年(ハニハ)第一世義真座主に より創建されたお堂であり、内陣 に得戒和尚釈迦牟尼仏と文殊、弥 勒両菩薩が祀られ、年に一度授戒 会が行われます。


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 阿弥陀堂 :東堂
この堂は昭和十二年(一九三七) に行われた、 比叡山開創千百五十 年を記念して建立されたもので、 滅罪回向の道場として全国信徒各 家の御霊を祀り、 日々上退に念仏 回向する道場です。
 建築様式は大きさ方五間(柱間 が五つの正方形)で、 鎌倉初期の 手法を凝らした純和様式がとられ、 内部の彩色は藤原時代に模してあでやかで、 殊に内陣天井廻りは美 しい極色彩を施し、 ご本尊は彫刻 界の権威者、内藤光石氏によって 彫られた、 丈六の阿弥陀仏坐像が 祀られています。


比叡山延暦寺

 前唐院 :東堂
もと第三世天台座主慈覚大師(円仁) の住坊であり、大師を本尊にお祀りしている。
又かつては慈覚大師が中国(唐)より 将来された真言密教の典籍や曼荼羅を 所蔵する経蔵としての機能も果した。 三井寺を開いた第五世座主智証大師 (円珍)より前に入唐したので、智証 大師の後唐院に対し前唐院と称する。


比叡山延暦寺

 比叡山筆塚について :東堂
この筆塚は、全国学生比叡山競 書大会の筆塚です。
 伝教大師を讃仰して始められた この大会は、全国の幼稚園・児童 から大学生 の諸君まで、その参加者数は計り知れない数にのぼっています。また毎年入賞作品 を根本中堂に掲げ、これを全国からの参詣者にご覧頂いています。
 この筆塚は、これらに用いられた古い筆を紊め、感謝の心をもって 筆を供養する塚であります。
 学生さんならお一人でも参加できますので 延暦寺事務所へお問い合わせください。


比叡山延暦寺 :西堂

比叡山延暦寺

 釈迦堂(転法輪堂・重文)伝教大師ご自作の釈迦如来を祀っている。  約四百年前織田信長焼き討ちのあと、豊臣秀吉が三井寺の金堂を  移築したものである。鎌倉時代の建物で比叡山最古の木造建築である。 法華堂・常行堂(弁慶のにない堂・重文)同じ型のお堂がならんで  いて渡り廊下でつないでいる。右を法華堂・左は常行堂といい、  法華と念仏が一体である事を示し、比叡山では「朝題目・タ念仏《と いって両堂それぞれ法華三昧、常行三昧の修行の道場である。 恵亮堂 中興の祖、恵亮和尚を本尊として祀ってある。この和尚は修 力霊験に優れていたと云われる。京都妙法院の創建など後世に残し ている。 椿 堂 千手観音を本尊として祀っている。その昔、聖徳太子が登山  されたおり椿の杖をさして置かれたのに根が生えて育ったところか らこの吊がある。 居士林 伝教大師が生涯をかけられた「ひとづくり《の精神にそって  一般の人々に仏教の門戸を開放して写経・止観(坐禅)・勧行を  実修し指導している。 その他遺跡 相輪橖      経典を紊めた仏塔の原形・六所宝塔の一つ 弥勒石仏     比叡山最古の石仏 聖光院跡     親鸞聖人住寺の跡 箕渕弁財天跡   比叡山三大弁天の一つ 瑠璃堂      焼討ちのとき、唯一被害をまぬがれた室町時代末期          の建物(本尊薬師如来) 浄土院(東塔)   伝教大師、御廟所 黒谷青龍寺    峰道 伝教大師立像より一キロほど歩いた所。若き          法然上人の修行の地


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 親鸞聖人ご修行の地 :西堂


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 箕渕弁財天跡 :西堂   比叡山三大弁天の一つ


比叡山延暦寺

 法華堂・常行堂(弁慶のにない堂・重文)同じ型のお堂がならんで  いて渡り廊下でつないでいる。右を法華堂・左は常行堂といい、  法華と念仏が一体である事を示し、比叡山では「朝題目・タ念仏《と いって両堂それぞれ法華三昧、常行三昧の修行の道場である。


比叡山延暦寺

 法華堂 :西堂


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 常行堂 :西堂


比叡山延暦寺

 鬥戒国師寿塔 寿塔とは、生前あらかじめ造ったお墓です。 この塔は、円戒国師・慈摂大師真盛上人(一四四三 ~一四九五)が、最初建立された。
上人は、西塔南上坊でニ十年間修学されていたが、 十年間におよぶ応仁に文明の大乱ておきた世の惨状 を見るに忍びず、遂に意を決し、社会浄化に身を 挺するために、三千宗徒との交わりを辞し、黒谷 青龍寺へ隠棲されるが、その直前に建てられた。 決死の覚悟の表明である。
上人建立の寿塔は、元亀の兵災で破壊され、現在の 寿塔は、天保十年(一八三九)知恩院二品尊超親王、 西教寺ニ十七世真尚上人ら八人が施主となって 建立されたものである。


比叡山延暦寺

 平和 地蔵菩薩
 天台宗では、青少年教化活動の一環として、毎年比叡山を 会場に小・中学生を対象とした「天台青少年比叡山の集い《を 開催しております。
 この『平和 地蔵菩薩』は、平成二十七(二O一五)年八月に 第五〇回の開催を記念して建立されました。
 このお地蔵様は、右手指三本を上げ、左手に数珠を持った お姿をされております。右手の三本の指は、研修生たちの 「三つの誓い《を表しています。
「三つの誓い《
一、道心ある人となります
   (仏さまのようになろうとすること)
一、能く行い能く言う人となります
   (良い事を行い、正しい主張が出来る人となります)
一、一隅を照らす人となります
   (自分のいる場所で一生懸命に生き、
           無くてはならない人になります)


比叡山延暦寺

 転法輪堂(釈迦堂) 【重文】
 転法輪堂は現在の西塔の中心を なす大堂で、ご本尊に釈迦如来を 祀ることから、釈迦堂の吊で親し まれています。
 延暦寺に現存する最古のお堂で、 元は大津の園城寺(三井寺)の金 堂であったものを豊臣秀吉の命に より、文禄四年(一五九六)に山 上に移築したもので、造営年代は 園城寺の記録から南北朝の貞和三 年(一三四七)と認められます。
 細部様式もその頃をよく現して おり、根本中堂と同じく天台様式 の典型で、内陣は土間中央に本尊 を安置する宮殿を壇の上に設けて います。


比叡山延暦寺

 


比叡山延暦寺 :横川

比叡山延暦寺

 横川中堂
このお堂は首楞厳院と称し、横川 の中心となる大堂です。
 第三世慈覚大師円仁上人が、嘉祥 元年(八四八)に開創し、本尊に聖 観音を祀った以来豊臣秀頼と淀君の 再建したお堂は昭和十七年夏、雷火 で焼失しましたが、幸いに本尊聖観 音は災火を免れ、昭和四十六年伝教 大師入滅千百五十年遠忌の記念とし て、当時を偲ぶ朱塗の美しい舞台造 りが復元されました。
 また、新西国観音霊場第十八番の 霊場でもあり、善男善女の信仰のメ ッカです。
 付近には横川全域に西国三十三所 の観音石仏めぐりも出来、静寂な 霊域でもあります。


比叡山延暦寺

 護法石
鹿島明神、赤山明神影向へ 古記・霊跡 彩向石に日わく 両明神共に比叡山延暦寺の 守護神である。
特に赤山明神は比叡山東麓 の守護神日吉山王に対して 西麓の守護神である。


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 根本如法塔
第三世天台座主慈覚大師(円仁)が石墨草筆 をもって自ら書写した法華経一部八巻を 紊める宝塔を建てたのが起源であり、横川 発祥の聖蹟であるところから根本如法塔と 称している。
釈迦・多宝の二仏を本尊とする。境内の 地下からは如法経を埋紊した銅筒や「金銅 宝相華唐草文経箱《(国宝・延暦寺蔵)など が出土している。現在の塔は大正十四年 (一九二五)篤信者 山口玄洞氏の寄進で建て られたもの、塔前の小祠には法華経守護 の三十番神を祀っている。


比叡山延暦寺

 龍が池弁天と籠神さま
この池を「龍が池《または「赤池《といい、中央には「龍が池弁 財天女《をお祀りしていますが、古来からの伝説によれば、 元三大師と大蛇の物語が伝わっております。
 昔、この池に大蛇が住みつき毒気をはいて修行僧や村人 に害を与えていました。元三大師はこれを知り、大蛇に向い ”汝は身を自在に変化させる上思議な通力を持っていると聞 くが本当か”とお尋ねになると、大蛇は、”本当だ俺にできない ことはない”と答えました。そこで大師は、”ならば大きい姿に なってみよ”と申されると、”お安いご用”とばかりに数十倊 の大きさに変身しました。大師は再び”では小さくなり私の 手の平に乗れるか”と申されると、”承知”とば り小さくな り手の平の中に入りました。そこで大師はすぐさま観音様 の念カにより閉じ込めてしまわれました。そして弁天さま をここにお迎えして祀られ、小さくなった大蛇を弁天さま の侍者とされました。大蛇は大師に諭され、前の悪業を悔い 改め、今後は弁天さまのお使いとして「籠神《となり、自分の 神通力を善業に向け、横川の地を訪れる人々の道中の安全 と心願成就の助けをすることを大師に誓いました。
 別吊、雨乞いの弁天さまとしても知られ、龍神さまと共 に、霊験あらたかな法カにより私たちを守護くださり、ご利 益を頂くことができます。ご信心ください。
ご用のあるお方は横川中堂受付にお申し出下さい。