熊野速玉大社

熊野速玉大社

 熊野速玉くまのはやたま大社は、 悠久の彼方、熊野信仰の原点・神倉山の霊石ゴトビキ岩(天ノ磐盾)をご神体する 自然崇拝を源として、 この天ノ磐盾に降臨こうせんせられた熊野三神(熊野速玉大神・熊野夫須美大神・家津美御子大神)を 景行天皇五十六年の御代(西暦百二十八年)初 めて瑞々しい神殿を建ててお迎えしたことに創始いたします。 我々の祖先は、美し国無野にましますこの真新しい新宮に大自然の恵み を献じて神々を斎祀り感謝と畏敬の心を込めて祈りを捧げながら、 最も神社神道の特色ともいうべ清め祓いる実践してまいりま した。 このように、原始信仰から神社神道へと信仰の形を整えていった厳儀を未来永劫に わたり顕彰し続ける精神をもって「新宮」 と号するゆえんであります。この尊称はまさに熊野速玉大社が、 天地を教典とする自然信仰の中から誕生した悠久の歴史を有すこと の証といえるでしょう。中世、熊野御幸は百四十度を仰ぎ、第四十六代孝謙天皇より 「日本第一大霊験所」の勅額を賜り、また千二百 点を数える国宝古神宝類が奉納され、全国に祀る熊野神社の総本宮として厚い 信仰を集めております。また境内には熊野信仰の象 徴たる「梛の大樹」が繁り、 熊野神宝館や熊野詣を物語る「熊野御幸碑」などがあります。
特殊神事 二月六日お灯祭、七月十四日扇立祭十月十五日・十六日 例大祭・神馬渡御式・神輿渡御式・ 御船祭
     平成十六年七月七日 世界文化遺産登録

熊野速玉大社

     八咫烏神社やたがらすじんじゃ
御祭神 建角見命たけつぬみのみこと
御由緒 当大社末社として古くから丹鶴山麓に奉祀され
    ていた。神武帝の道案内をせられたと古典に記さ
    れ、熊野神の使者とも言われて交通安全、招福の
    御神徳が高い。

    論宮かぎのみや  手力男神社かちからおじんじゃ
御祭神 天之手カ男命あめのたぢからおのみこと
御由緒 延喜式神名帳に紀伊國牟婁郡手カ神社とある由
    緒の古い社でもと神門内に祀られていたが 嵯
    峨天皇の弘仁四年(西暦八一三年)に勅命によ
    って現社地近くへ遷り 明治四十年に新宮神社へ
    合祀された。武道、健康、開運の御神徳が高い。

熊野速玉大社

 武蔵坊弁慶
弁慶の生涯について、歴史的には謎に包まれているが、 熊野別当の関係者として、今日まで伝えられている。 当地の伝承として、弁慶の出自は速玉大神に仕えた熊野 三党の一つ鈴木一族とされ、源平の戦いに出陣したとな っている。又、その最期においては、源義経の叔父であ る新宮十郎行家とともに源頼朝から追討を受け、この地 で討ち死にしたとも伝えられている。尚、弁慶に関係す る史跡として、弁慶産家楠跡石碑と旧産屋敷の地(奥野 々)に残されている鉄平塚がある。

弁慶産家楠跡石碑(ここより約一キロ)