石見一宮物部神社

物部神社

 県指定有形文化財  物部神社本殿 (大田市川合町)

 本殿は社伝によれば大文12年 (1591年 吉川元春により再建されたと伝 えられる。享保3年(1718年)に一度焼失し、宝暦3年 1753年)に再建さ れている。現在の本殿はこの宝暦にたてられた社殿の様式をひきついでおり、県内 では出雲大社につぐ大規模な本殿であり多くの人々に親しまれている。なお、祭神 は物部氏の祖神宇摩志麻遅命で、石見国の一宮として崇敬されている。
 本殿の建物は高さ16.3mある。正面3間、背面2間、側面2間の身舎の前面に 正面3間、側面1間の前室(向拝の間)をつけている。屋根は身舎が切妻造り・妻人 りの形式で、これに庇屋根をつける春日造りの系統であるが、深い庇を支えるため の隅木を入れる手法を取りいれている。
 春日造りの建築でありながら、高木・千木・勝男本人棟など出雲地域の神社建 築の影響が随所にみられる点が特徴である。
        昭和45年(1970年 10月27日指定
              平成2年 2000年 3月 鳥根県教育委員会
                       大田市教育委員会

物部神社
  神馬 奉納の由来

 和田家第九代孫二郎 (明治四十四年没す) の遺志により、第十代 孝一郎 (昭和 五十一年没す)は、二十五年後の大正九年二月に、等身大の馬の銅像を東京都の 伊藤国男先生に依頼作製、奉納し、その遺志を果しました。
そして、約二十五年の間、当社の境内に鎮座し、風雪にも負けず、雄姿は本殿を 迎、国の平和を願って参りましたが、不幸にも第二次世界大戦により国力の 一助として銅像の供出の止むなきに至り、昭和十八年に解体されました。 時代の過ぎ去るのは早いもので、既に四十五年が経過致しました。日夜その再建 を願って居りましたが、福岡県の彫塑家堤磐夫先生の製作による銅像が、三年余 りの歳月を経て完成致しました。本日、午年の節分の佳き日に、皆様方の御協力 により再建することが出来ましたことを本懐に想い喜びにたえません。
   平成二年二月三日
              氏子 和田家 第十一代和田 共弘

 名馬 パーソロン号  父 マイリージャン
            母 パレオ U (その父ファリス)
       一九六十年 (昭和三十五年)アイルランド産牡馬、鹿毛
       一九六二年 (昭和三十八年)シンボリ牧場 和田共弘輸入
       一九八五年 (昭和六十年) 北海道シンボリ牧場にて没す
 パーソロン号は、日本に於いて、種牡馬として供用(昭和三十八年より昭和六十年迄)、 その間、常に好状態を維持し、産駒を順調に育成されました。産駒の日本中央 競馬に於ける成績はチャンピオンリーディングサイアー(年間の種牡馬産駒の成 績日本第一位になること六回 (三才も含む)チャンピオンブルードメアーサイア ー(産駒の母の父)には平成元年迄連続三年日本第一位の成績を収め、又、昭和五 十九年、六十年にはシンボリルドルフ号により三冠(皐月賞、ダービー、菊花賞) を制し、ジャパンカップ(世界の名馬参加)、天皇賞、有馬記念(日本第一位を決定す る競走)に二連覇、七冠達成の日本競馬史上空前の名馬に君臨致しました。
パーソロン号は数多くのクラシック馬を生産すると共に、シンボリ牧場の繁栄の 基礎を築きました。
産駒の総収得賞金は、壱百参拾六億円(現在)に達しています。
我国の馬産改良に、不滅の功績をあげることが出来ます事は、之も偏に神より 授ったものと感謝しています。