高津戸峡

高津戸峡

 高津戸峡は奇岩と橋と周りのもみじで赤や緑の様々な風景を織りなしている。 とっても素敵な場所である。上流側からのはねたか橋を渡って対岸を散歩するほうが楽ですよと! ご近所さんから教えてもらった。また、戻ってくるときに駐車場手前に大間々神明宮がある。
 

高津戸峡
 

高津戸峡
 

高津戸峡
 

高津戸峡
 大間々神明宮
 この神社は生まれてから没後までずーと守ってくれる産土神(うぶすなかみ)である。 また、どことなく 伊勢神宮に似ていると思ったら建築様式が同じということで納得。

高津戸峡
   道了尊縁起

「どうりゅうせん」の呼び名で親しまれております『はね瀧道了尊』は、 諸願成就、子育ての仏様として江戸時代から現在に至るまで、時代を越えて たくせんの信仰を集めてまいりました。
 道了尊は、宝暦二年(1752年)5月、光栄寺第十世寿の代、神奈川 県足柄市大雄山最乗寺より、ここ大間々の渡良瀬川沿岸にお迎え七れたと、 記録に残れています。以前は、現在地よりも北側およそ100米の斜面を 下がった所にありました。当時、縁日は毎月二十七日、二十八日の二日間で、 道了堂参道には『滝の湯』という湯屋や茶店が並び、たいへん賑わっていた そうです。また、天保二年(1831年)には、かの渡辺崋山も当地を訪れ、 要山から高津戸一帯を描いたことが『毛武游記』に記されています。しか し、昭和二十二年(1947年)のキャサリン台風による水害で、渡良瀬川 沿岸にあった道了堂は、周辺の滝の湯、茶店もろとも一瞬のうちに濁流に飲 まれ、跡形も無く流れてしまいました。その後、災害復旧は果たしたもの の、道了堂の再建が叶わなかったこともあり、残念ながら道了尊信仰は衰微 して行きましたが、参拝は、数少ない篤信者の方々により続けられてきまし た。しかし、落石、崩落の危険は絶えず、参詣が困難となり、また、再建に 対する地元民の強い要望もあり、平成十五年(2003年)十一月一日、光 栄寺開山400年を記念して、道了尊をこの地に移転、勧請いたしました。
 はね瀧道了尊のこのお姿は、烏天狗のお顔をしており、子どもの心に宿ろ うとする悪鬼を睨みつけ、さらに悪鬼を懲らしめる為に右手にねじり木を、 左手に網を持ち、煩悩を焼き尽くす火?を背負い、疾風より早く駆ける白狐 に乗っていらっしゃいます。往昔、心のねじれた子どもを立ち直らせる為に 道了尊に詣で、ねじり木一本を持ち帰り、「拗ねた心の子どもはすなほなれか し」と朝夕お唱えし、大願成就のあかつきには、ねじり木を二本にしてお礼 参りをしたということが古い記録にあります。近時、不登校や引きこもりな どの心の悩み、万引きや麻薬などの非行が、大きな社会問題となっているこ とは周知の通りです。未来を担う子どもらがすなおに育って欲しいという親 の願い、人々の様々な願いを叶えてくだせる道了樣をここに改めてお祀りい たしました。道了樣の霊験は、その昔には、養蚕守護・水難除・盗賊除・火 災除・鼡口止などにその功徳を発揮れてきました。時代が変わった今も、 開運・家内安全・身体健全・交通安全・諸縁吉祥・五穀豊穣・災厄消除、特 に、非行防止など、心願成就を願う方々に多くの御利益が享受せれますよう 期待いたします。