妻沼省天山

妻沼省天山

 国宝御本殿 
登録名称 「歓喜院聖天堂」
 御本殿は、奥殿(34 m)、相の 間(27m)、拝殿(一二七m)より なる廟型式権現造りで、奥殿は八棟 造りである。建造物の各部材、各壁 面を総て彫刻で装飾し、華麗な色彩 が施されている。江戸中期の貴重な 文化遺構である。
 この御本殿の建築は、幕府作事方 棟梁として活躍した平内政信の子孫 で、妻沼の工匠林兵庫正清の設計に よって施工され、その子正信に引き 継がれ宝暦十年に仮屋根・安永八年 に完成したものである。
 当時の庶民・農民が永年に渉って 浄財を出しつづけ、四十四年かかっ て完成した。
 平成十五年より平成二十三年の八 年間を要して保存修理工事が施され、 外壁は創建当初の華麗な色彩が復元 された。総工費十三億五千万円(内 本体工事は十一億六千一百万円)で 十億が国・県・市の補助金、三億五 千万円がご信者の寄付。
 寄附勧進にお応えいただいた各位 に深く感謝申し上げます。

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 貴惣門 国指定重要文化財
 当山の総門である『貴惣門』は、山 口県吉川藩の作事方奉行長谷川重右 衛門(岩国・錦帯橋の架け替えの際 二度にに亘って棟梁を務めた)の秘 伝を受け、林門左衛門正道の手によ り、弘化四年(一八四七年)に起工 し、嘉永四年(一八五一年)に竣工し た。
 妻側からみた破風の形が∧となっ ているのが特色である。様式の定形 化する江戸末期にあって、奇抜な意 匠を採用したことは貴重なこととさ れ、関東地方には唯一の建物である。  入場券より

妻沼省天山
 聖天山開基本斎藤別当実盛公について
 実盛公は長井庄(現在は「妻沼十二郷」 という)(合併前の妻沼町全域。熊谷・行 田・深谷の一部を含む広い地域)の総鎮守 として治承三年 (1179年)に当山を 開創されました。実盛公は十三才の時、 福井県の河合斎藤氏より長井斎藤氏の養 子となりました。養父の実直が亡くなり 十六歳にして庄司を引継ぎました。そし て、先頭に立ってこの地域の開墾・開発 されました。開創以来聖天山は地域の人 々の守護神として崇拝され、また護持し てきました。実盛公は自身のみの守護神 としてではなく地域の人々のためにお祀 りされたのです。本年は開創八四○周年 に当たります。平成最後の記念すべき年 であり月となりました。妻沼十二郷に生 まれ育った人、住む人、出身の人はその ことを確認し、開発のつくした実盛公と 先祖及び地の神に感謝を捧げ、子孫に伝 えることが必要です。私たちの心の拠り 所であり私たちの聖天さまとして護持し てゆく心を先祖から受け継ぎご先祖さま へそして歴史への感謝を捧げ、今ある自 分を見つめることが必要です。長井庄の 地域は「熊谷市史」では別図の地域です が、現在は隣接する地域の方々も菩提寺 さまのご協力も頂き妻沼十二郷としての お付き合いをしていただいております。
ありがたいことです。

妻沼省天山
 聖天さま由来
妻沼聖天山は斎藤別当実盛公が、当地の庄司として、祖先伝来のご本尊聖天さまを治承三年 (1179年)にお祀りしたのに創まる。
 実盛公は平家物語、源平盛衰記や謡曲実盛、歌舞伎実盛物語などに、武勇に勝れ、義理人情 に厚い人柄が称えられている。次いで実盛公の次男斎藤六実長が出家して阿請房良応となり、 建久八年(1197年)に本坊の歓喜院を開創した。
 本尊聖天さまは、正しくは大聖歓喜天と称せられ、弘法大師が唐より密教とともに仏法の 守護神として請来されたから、日本でも祀られ、福運厄除の神として信仰されている。
 妻沼聖天さまの御本尊は由緒の正しさでは日本最古の聖天尊像として知られ、特に縁結びの 霊験あらたかで、夫婦の縁はもちろんのこと、家内安全・商売繁盛・厄除け開運・交通安全・ 学業進学などのあらゆる良縁を結んでいただけるので、祈願を篭める人々が後を絶たない。
 御本尊は錫杖の中央に祀られているので御正体錫杖頭として国指定重要文化財であるが、秘 仏である。

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