瑞龍寺

瑞龍寺

 曹洞宗高岡山瑞龍寺は、加賀二代藩主前田利長公の菩提をとむらうために 三代藩主利常公によって建立された寺である。
 利長公は高岡に築城し、この地で亡くなった。加賀百万石を譲られた義弟利常は、 深くその恩を感じ、時の名匠山上善右衛門嘉広をして七堂伽藍を完備し、広山恕陽 禅師を持って開山とされた。
造営は正保年間から、利長公の五十回忌の寛文三年(1663)までの約二十年の 歳月を要した。当時、寺域は3万6千坪、周囲に堀をめぐらし、まさに城郭の姿を 想わせるものがあった。
 平成9年12月3日、山門、仏殿、法堂が国宝に指定された。また、総門、禅堂、 大庫裏おぐり、回廊、 大茶道が国の重要文化財に指定されており、江戸初期の禅僧寺院建 築として高く評価されている。 (パンフレットより) (Map-Code#40 511 828)

回廊

 回廊
 山門、大庫裏おぐり、 仏殿、法堂、禅堂、七間浄頭しちけんじんずう東寺とうじ:トイレ)、浴室を この回廊で結ばれている。
 

仏殿

 仏殿
 万治二年(1659)に建立された。
 山上善右衛門嘉広の最も心血を注いだ力作の一つで、総檜造りである。 屋根は鉛板をもって葺かれている。これは全国においても金沢城石川門に その例をみるだけである。上層軒組は、禅宗建築の純粋な形式であり、 屋根裏の扇垂木やエビ虹梁など複雑にして妙をえた架構法である。
 御本尊として中国明代の帝釈・文殊・普賢の三尊をまつる。 

禅堂

 禅堂
 座禅修行をする建物であるが、座禅だけではなく、食事、睡眠もとれる 生活空間である。延享三年に消失、直ちに再建された。幕末に三分の一に縮小され、 今回の修理で再び創建当時の姿に復元された。 

石廟

 石廟せきびょう
 前田利長、利家、織田信長、同室正覚院、織田信忠の分骨廟。石廟の中には、 宝篋院塔がまつられている。 

大庫裏

 大庫裏おぐり
 調理は依然や寺運営を行う堂である。天井が漆喰で曲線になり結露に配慮し てある。正面には韋駄天尊像がまつられている。 

韋駄天尊像

 韋駄天尊像