清水寺
![清水寺](IMG_2929.jpg)
清水寺
本尊 千手觀音
宗派 真言宗豊山派
大同三年(八〇八)征夷大将軍
坂上田村麻呂が、
蝦夷征討の兵士の健勝と武
運長久を祈り、京都東山の清水寺から
勧請、
開基したと伝えられている。
正面が観音堂で、
大悲閣と呼び、堂
内に
狩野常信筆の
大絵馬一対があり、
和算の大家斉藤宜義奉納の算額や高崎
出身の浮世絵師、
一椿奇芳輝
の献額十
六面が観音堂の廻廊を飾っている。
向かって右の田村堂には、下仁田戦
争で戦没した高崎藩士の木像が納めら
れている。 高崎市 社高崎観光協会
高崎市指定重要文化財
芭蕉花の雲句碑
所在地 高崎市石原町二四〇一
指 定 昭和五十六年二月十三日
この句碑は、江戸時代末期の上州随一の俳人であ
った高崎田町生まれの宮所(志)西馬が、芭蕉俳
諧の流れをくむ者として、上州内外の俳人と共同で、
芭蕉百五十年遠忌の前年にあたる天保十三年(一八
四二)春に建立したものである。この時、記念の大
俳句会も開催している。
碑面の句は当代第一級の家であった越後出身の
巻菱湖が作をとり、碑背の文を常陸国牛久藩主の大
内蘭長が書いたものである。
県内約二百基ある芭蕉句碑のうち、由緒において
その右に出るものはないであろう。
句 碑
碑面 正風宗師之碑(案額)
観音の 甍(いらか)みやりつ はなの雲
"かんのんの いらかみやりつ はなのくも"
芭蕉
碑背 ?時天保十三龍集壬寅三月
五品多々良大内南長
石質 安山岩(俗称 碓氷石)
寸法 高 一六〇センチ
幅 一三六センチ
厚さ 三二センチ
平成八年三月
高崎市教育委員会