敢國神社

敢國神社

  敢國神社あえくにじんじゃ

南宮山の麓に鎮座する敢國神社は、伊賀国の一宮とされ、創建は斉明 天皇四年(658)と伝えられています。
現在は大彦命と少彦名命、 金山比当スの三神を祀っています。伊賀地域に広く伝播する獅子神楽 に大きな影響を与えた「敢国神社の獅子舞」は、県指定無形民俗文化 財に指定されています。
伊賀の国は、複数の土豪が連合(一味同心)し、話し合い(談合)で地域 の平和を守っていました。彼らは他の地域から「伊賀衆」と呼ばれること もありました。ここは、祭礼を通じた伊賀衆の 結集の場となっていたと考えられます。
神社に伝わる「黒党祭」と呼ばれる祭りは、 後に服部半蔵を輩出することになる服部一族 の私的な祭りであったとされます。
起源は定かではありませんが、神事に携わる者は服部一族 に限られ、黒装束に身を固める慣わしでした。 敢國神社は、天正伊賀の乱の後、一時荒廃し ますが、その再興に努めたのが、修験者の小天 狗清蔵や藤堂藩初代藩主藤堂高虎です。 修験道は忍術に影響を与え、藤堂藩は「忍びの衆」 とも呼ばれた伊賀者を召抱えていました。その 二人が再興に尽力したことは、 伊賀者の氏神であったこと と関係しているのかも しれません。
 

敢國神社
 
 
敢國神社
 芭蕉句碑 
 表参道の入り口の左側に

手ばなかむ おとさ梅の にほいかな  はせを

芭蕉45歳の作
 
敢國神社
 
 
敢國神社
 
 
敢國神社
 
 
敢國神社
 
 
敢國神社
 
 
敢國神社