庭 園
東京都
大きな池の周りには飛び石があり、池の近くまで寄ることができる。
また、日本中から集めた石や奇岩などがそこらじゅうに設置され、
写真の被写体には困らない。この庭園の一番奥のところに、
芭蕉の大きな句碑が置いてある。
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元禄15年(1702)武州川越藩主柳沢吉保が築造した庭園で、江戸の大名庭園で
現存する屈指の名園である。昭和28年特別名勝となり、特に優れた名園として
大切に保存されている。
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斜面の高低差を生かした洋風の庭園と日本庭園の特徴をうまく表現している。
大正時代の庭園をそのまま残している貴重な庭である。薔薇の季節もいいが
池に映える紅葉もまた素晴らしい。
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向島百花園
本園は、江戸時代文化2年(1805)頃、佐原鞠塢という粋人が、
向島の寺島村で元旗本、多賀氏の屋敷跡約3000坪を購入し、
当時鞠塢と親交の深かった一流の文人墨客の協力を得、梅を多く植えたことから、
「新梅屋敷」として創設したのが始まりとされています。
往時は江戸中に百花園の名が知れ渡り、多くの庶民の行楽地と
して賑わいました。なかでも、弘化2年には、12代将軍家慶の
梅見の御成りがあり、明治になると皇室関係をはじめ、多くの著名人来遊した
記録が残っています。
その後、時代の変遷と共に、
小倉家に所有権が移り昭和8年2月、国の「名勝」に指定され、
時至って小倉氏の遺志に(名勝永久保存のため)により昭和13年
10月に東京市に寄付されました。百花園を受領した東京市は
衰退著しかった庭園を復旧し、昭和14年7月8日制限公開にしています。
・・・ (説明板より抜粋)
(Map-Code#803 455)
ここには、文学碑が非常に多くあり、
一つ一つ詠んでいけば半日かかるだろう。
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