鵜川四十八躰仏

鵜川四十八躰仏

 鵜川四十八躰仏(うかわしじゅうはったいぶつ) 石仏の大きさは、それぞれ多少の差はあるが、像高1.6m 顔長0.5m、肩幅0.76m、膝高0.46m、膝幅約1.3m ある。地元の比良石といわれる花崗岩製で、いずれも定印を結んだ 丸彫りの阿弥陀如来座像である。
 現在は33体だが、元々はその名のように48躰が東面 していたようである。不足のうち13躰は江戸時代前期に坂本 の慈眼堂(大津市)へ移され、また2躰は昭和62年(1987) 10月に盗難にあった。
 伝承によると、天文22年(1553)に近江半国の守護職で あり観音寺城主であった佐々木六角義賢(よしかた)が、亡き母の 菩提を弔うため建立したとされる。
 しかし、冷泉為広(れいぜいためひろ)の「為広越後下向日記」 延徳3年(1491)3月4日条に、船で琵琶湖の西側を 北上し、白鬚神社へと進んだところで「次に廿八躰ノ石ノ阿弥 陀アリ」と記されており、この時すでに石仏群が存在していたとわかる。
 さらに、永享8年(1436)、周辺の境界争いの記録に「四拾八躰」 の文字があり、四十八躰石仏がその頃にはすでに存在し、境界の目印として 認識されていたといえる。
 四十八という数は、阿弥陀四十八願という信仰に因む、阿弥陀仏に 対する供養信仰に基づくものであっる。大きな丸彫り阿弥陀仏が四十八 躰も造られ、また、一カ所に祀られているところは他所にはないようで ある。
 (高島市文化財課)  (Map-Code#263 407 130)


 行ってみたら、こんなところ