亀山宿

亀山宿


 亀山宿は文明14年(1482)の資料に「亀山」とあることから、 15世紀の終わりには町が成立していたとみられ、 16世紀には亀山城が築かれ、関氏の城下として発展した。 江戸時代には、東海道53次の江戸から数えて 46番目の宿場町として、 露心庵から京口までの約2.5Kにもおよぶ宿となった。 しかし、城下町としては大きかったが、本陣・脇本陣は各1軒しかなく、 江戸後期の段階で旅籠も21軒と多くはなかった。 伊勢参訪の経路から外れているため、紀行文などでは 「さびしき城下町」と表現されることもあった。 しかし、ここ亀山の宿には本陣や高札場など宿の主な施設は 失われていますが、宿内の随所にかつての面影を留めている。  
 行ってみたら、こんなところ



亀山城跡

亀山城跡

  伊勢亀山城は、文永2年(1265)に関実忠が和歌山の地に築いたと 伝えられている。現在の地には、16世紀中ごろに移設したと考えられている。 天正18年(1590)岡本宗憲によって天守を築城する。本多俊次が寛永13年(1636) から3カ年をかけて行った大改修によってほぼ現在の城地が確定した。

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福泉寺

福泉寺

  福泉寺は平安時代の創建された古刹ある。写真の山門は寛政7年(1795) の建立で寺院の典型的な建築例として市の文化財に指定されている。

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善導寺

善導寺

  もともとは亀山城の本丸あたりにあったが岡本宗憲が築城するにあたり、 現在の地に移転したと伝えられている古刹である。

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加藤家屋敷跡

加藤家屋敷跡

  加藤家は江戸後期の亀山城主石川家の家老職で、屋敷の長屋門や土蔵、 主屋の一部などが良好な状態で残されている。江戸時代の武家屋敷の 建築の状況が判る貴重な建屋である。

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