大和寺の奈良公園
浄教寺
興福寺
春日大社
行ってみたら、こんなところ
浄教寺
浄教寺は浄土真宗本願寺派に属し、最初、河内国(大阪府)にあり、十六世紀 に大和国(奈良県)に移ったとされます。現在の境内地は、慶長八年(1603)年 徳川幕府から寺地として認められたものです。山門は均整の取れた造りで、 各所に動植物・渦・雲などの彫刻を施しています。掲示板舎は小規模ながら 掲示板の受木に彫刻を施すなど丁寧なつくりです。 いずれも三条通りの歴史的景観の形成に寄与しています。 また、現本堂は奈良県技師・岸熊吉の設計で、昭和19年棟上、第二次世界大戦の影響で 興寺は長期化し、同43年竣工しました。本堂前のソテツは、根株の周囲6.5メートル 一本の株から二十五本もの幹が出ている珍しいもので、巨樹として貴重です。
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興福寺
興福寺の起源は、天智天皇8年(669)に中臣(藤原)鎌足の夫人鏡女王が、 鎌足の病気平癒を願って建立した山背国、現在の京都山科区にある。 その後飛鳥に移されて廐坂寺、和銅3年(710)の平城京遷都に際して、 鎌足の息子不比等が左京三条七坊に移し、興福寺と称した。
やがて藤原氏の交流にともまって我が国の宗教界はもとより政治、経済、社会、 文化に大きな影響を及ぼした。長い歴史の中で度重なる罹災と復興を繰り返し、 現在にいたる。
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春日大社
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