観音寺(義経伝説)
兜池の由来
文治3年(1187)源義経が兄、頼朝よりいわれなき勘当を受け
京洛(京都)を忍び出て六人の家来(武蔵弁慶、亀井六郎、片倉七郎
、伊勢三郎、駿河次郎、常陸坊)と共に奥州へ下る途中、国府であった
直江津に立ち寄り、ここ観音寺に一夜の宿を借りた。
深夜の事、義経の夢枕に宝冠を載せ蓮華の花を手にした童子が現れ、
「今や北陸道には鎌倉の追手が迫っている。その難を逃れる為に義経
の証しの鎧兜をこの池に捨てよ」と告げて
忽然と消えた。
驚いた義経は、兜の他、所持品のことごとくをこの池に捨てて旅立ち、
追ってきた代官、浦權守からの手から逃れて、
無事、鉢崎
の関所を越える事が出来た。
(説明板より)(Map-Code#126 614 644)