大内宿
大内宿は会津若松と日光・今市市を結ぶ南山通り(会津西街道)
の宿駅の一つである。
この南山通は、会津藩が江戸時代初期に会津と江戸を結ぶ幹線道路の
一つとして整備したもので、廻米などの物資の輸送で栄え、会津藩も参勤交代の際に
この道を利用するなど重要な街道であった。
大内宿が宿駅として整えられたのは17世紀中ごろと推定され、
本陣・脇本陣が置かれた。
保存地区は街道に沿った旧宿場を中心とする南北500メートル、東西約200メートル
の範囲である。本地区の街並みの特徴は寄棟造の建物が道路と直角に整然と並べられている
ことである。主屋は道路から空き地を設けて敷地の北側に後退して建ち、南は余地をおいて
奥の土間入口への通路となっており、倉や納屋は主屋の奥に建つ。
主屋の多くは江戸時代後期から明治にかけて建築されたもので、道路側に
半間幅の縁をつけ、その奥の一室を座敷としている。
道路の中央には広い溝がも置けられ、宿場の用水路として利用されたが、
明治19年になって埋め立てられ道路の両側に側溝が掘られ洗い場を設けるなどの
変遷があった。
この街並みは、会津及びその周辺地域にみられたこの地方の宿場形態の典型的なもので、
その多くが失われた今日もなお往時の姿をよく残している。
また、周囲の寺社や自然環境とも一体となって優れた歴史景観を今に伝えている。
行ってみたら、こんなところ