津和野(つわぶきの生い茂る野)
山陰の小京都と言われいる津和野へ来た。歴史の町並みからカトリック教会、
弥栄神社、太鼓谷稲荷神社、森鴎外旧宅、津和野小学校の壁、多胡家老門、
・・・そしてかつて山口線を走っていたD51蒸気機関車(展示)見学することができる。
行ってみたら、こんなところ
慶長6年(1601)津和野入りした坂崎出羽守によって城下町が
整備されて以来、今日まで城下の中心部として掘割と共に
その名をとどめている。今日の掘割は一昨日の雨の影響であろうか、
水が濁り錦鯉がよく見えない状態であった(残念)。
ゴシック様式の教会であるが床は畳敷きという日本式である。また、
窓には素敵なステンドグラスがはめ込まれている。
日本五大稲荷の一つ。日本で唯一「稲成」と表記され、願望成就
の願いが込められている。参道に連なった赤い鳥居のトンネルを潜りながら
神社まで登っていくことで、願いごとがかなうような気がする。
幼少期を津和野で過ごした明治の文豪、森鴎外が育った家。
明治6年津和野小学校の前身である広小路小学校が開校され、
その後森町小学校となり、津和野尋常高等小学校、・・・、津和野町立小学校と
改められ現在に至っている。その間に森鴎外や西周等幾多の
先哲を輩出している。
日本の代表的な機関車”デゴイチ”は、我が国の機関車発展史上の最盛期
にふさわしく国鉄の総合技術の粋を結集し、D50型の近代化改良型として
昭和11年3月に1号機が生まれました。以来輸送量の増加に対応するため
D51の新製車が全国の工場で製作され、昭和21年1月までに実に1115両
の最大両数を記録しています。
山口線開通以来60年間、雨の日も風の日も一日も休むことなく力強く走り
続けた蒸気機関車が姿を消すことになり、昭和48年9月30日を最後に
走ったのがこの”デゴイチ”です。