日本の鉄道
明治3年、日本で初めて鉄道路線が敷かれ、最初に走ったのは 明治5年5月、
品川駅から桜木町駅の間で仮営業を開始した。その後、新橋―横浜間で正式に開業し、鉄道の歴史がここから始まった。
「陰陽線なる境鉄道の開通式を伯耆米子町に挙行し、試運転を行へり。
来会者一千余名(中略)同地は一帯に国旗、球灯をかかげ、歓喜の様、
非常なり(後略)」。 明治35年(1902)11月1日、
境−米子−御来屋間35qの開通式の模様を当時の新聞はこのように伝えている。
山陰で鉄道が敷かれたのは境線が最も古く、やがて山陰本線、伯備線が開通した。
鉄道の開通によってそれまで盛んであった米子の海運は衰えたが、
経済・社会の近代化は大きく促進された。
米子市は昭和2年(1927)4月の市制施行後も交通の要地
という地の利を得て山陰の中核産業都市として発展し、今日に至っている。
山陰鉄道建設、発展につくされた先人の功績をたたえると共に、
21世紀における更なる発展を願って、ここに記念碑を建立する。
平成9年7月吉日 (記念碑より)
まるで、銀河鉄道999号のようである。こちらの動力車はC57であり、
アニメのスリーナイン号はC62である。
明治22年5月23日讃岐鉄道株式会社が多度津を起点に丸亀〜琴平間(15.5キロメートル)
で営業を始めたのが当社の鉄道の始まりです。
大正2年、文豪志賀直哉の小説「暗夜行路」の主人公謙作も、尾道から船で多度津に上陸、
ここから汽車に乗って金毘羅参りをしています。
九州鉄道が明治24年に門司駅を開業したとき、
九州鉄道(鹿児島本線)の起点と定めたところです。
九州の鉄道網の形成の原点となった場所です。
その後、大正3年に駅が今の位置に移り、跡形が
なくなっていましたが、鉄道百年を記念して 標識が
埋められました。鉄道記念館の開館にあたって
旧0哩
標として立体的に復元しました。
(プレート版より)
門司港駅(当時の門司駅)
ここは 九州の鉄道の起点となったところです
明治24年4月1日 この門司港駅(当時の門司駅)から玉名駅(当時の高瀬駅)
まで鉄道が開通しました このとき門司港駅に0哩
標が建植され 九州の産業と文化は
ここを起点として延びる鉄路とともに栄えてまいりました その後 駅舎の移転により
0哩標は撤去されて今日にいたりました
ここに 鉄道開業100周年を記念し 先人の偉業をしのびつつ再び0哩標を
建立しました
昭和47年10月14日
日本国有鉄道九州総局 (説明板より)
行ってみたら、こんなところ