松下村塾

松下村塾

 松下村塾しょうかそんじゅく  萩(長州)藩の兵学者吉田松陰が主宰した私塾。木造瓦葺き平屋建て50uの小さな建物 で、8畳の講義室と10畳半のひかえの間がある。この講義室で、松陰先生は門下生に 「飛耳長目ひじちょうもく」 (耳を飛ばし、目を長くするように広く世の中の動きをつかみ、正しく分析して将来への 見通しを建てることが大切)と言って情報収集の大切さを教えた。後に松陰先生は 幕府に行動を監視され、自由に行動できなくなったが、「飛耳長目」の教えに 従った門下生たちの情報力で、松下村塾いながら多くの多くの情報を集めることが できた。(パンフレット抜粋)

松下村塾

  

松下村塾

  

松下村塾

      親思う こころにまさる 親ごころ  
          きょうの音づれ 何ときくらん  

 尊皇の大義を唱え、国事に奔走した吉田松陰の言動が幕府を刺激し、 安政の大獄により捕えられた。この歌は、処刑を覚悟した松陰が安政六年 (1859)10月25日に、郷里の両親に宛てた別れの書簡 「永訣えいけつの書」 の中で詠まれたものである。
                 享年 三十
 松陰の両親に先立つ不孝を詫びている気持ちが込められている。

付記
 碑文は松陰の自筆を模写拡大したもので、寅二郎は松陰の通称である。
                         萩 市 


 行ってみたら、こんなところ