アショーカ王石柱
ルンビニ(ネパール)で発見されたアショカ・ピラーに彫られた碑文が再現されている。
花まつり千僧法要記念宝塔
昭和63年(1988年)4月26日、全日本仏教青年会は、仏法興隆の願いをもって、
「花まつり千僧法要」(企画 全国曹洞宗青年会,南都二六会)をこの東大寺大仏
殿で開催しました。記録には全国から宗派の違いを超え1700余名の僧侶、万余
の慶讃の人々が集い、苦悩する人々の心の救済と人類の福祉・世界の平和に寄与
することを成願しました。この宝塔は、その精神を永く継承し青年僧の思いを後
世に伝えようとするものです。 その昔インドのアショーカ王は、各地に詔勅を刻
んだ石柱を立て、仏教精神に裏付けられた理想社会の建設を目指されました。
それらの石柱はアショーカピラーと呼ばれ、その柱頭部は美術的極めて価
値の高いものと評価されています。この宝塔は、仏法を象徴する神聖な獅子を
かたどったサルナートのアショーカピラー柱頭部を忠実に復元したものです。
また、宝塔の下には、法要の参加者名簿、全国から寄せられた未来へのメッセ
ージを封印したタイムカプセルが埋設されています。このタイムカプセルは、
日本に仏教が伝わって1500年の年、西暦2038年に開封されることになっています。
仏法弘通、理想社会の実現のために汗された多くの先達と同様に、この宝塔を
訪れる人々が共に手を取りあって人類の福祉や世界平和実現への道に歩まれる
ことを祈念いたします。(説明版より)
青蓮寺
称名寺
(亘理郡)
大五輪石塔(ストゥーパ)
お釈迦様のお墓は、円形のお椀を伏せたような形の塚でした。後
にお釈迦様の遺徳を称えるため、石柱(ストゥーパ)となり、イン
ド各地に建てられた。
ストゥーパは「積み重ねる」という意味で、中国では「卒塔婆そとうば」
の字があてられました。卒塔婆は次第に「塔婆」と略されて、今日
に至っている。
お釈迦様のお墓の形は次第に半円から台が付き、暑さを凌ぐ意味
から傘が付けられ、仏教的宇宙の五大元素(地・水・火・風・空)
の五輪を重ねる五輪塔へと発展したが、肝心なのは一番上にあるア
ンテナのような部分で相輪と言う。
この相輪部分最上部の宝珠が最も重要で、ここがお釈迦様の遺骨を
納める所とされている。宝珠の形は円満成就、完全無欠を表し、屋根
から下はいわば飾りの部分です。 (説明版より)
初転法輪仏像
お釈迦様が悟りを開いたインドの仏教四大聖地サ
ールナート遺跡から出土した石仏で、5世紀頃の作と
考えられる。
足元の中央には法輪(仏教教義)があり、それを囲
んで右に3人、左に2人の弟子がいる。左端には母と
子が描かれているという。法輪の両側に鹿が二頭配置
され、鹿野苑での説法であることが表されており、仏
教?法を描写した最高傑作とも評される。仏教では教
義を他人に伝えることを転法輪と言うようになり、特
に釈迦がサールナート鹿野苑で元の修行仲間 5 人に
最初に教義を説いた出来事を初転法輪と言う。
法輪は仏教の教義を示す物として八方向に教えを
広める車輪形の法具として具現化され、卍と共に仏教
のシンボルとして信仰され、寺院の軒飾りにも使用さ
れた。
向いの獅子柱頭は同遺跡から出土したもので仏教
に帰依したアショーカ王が建てたものと言われ、背中
合わせの4頭のライオンと法輪が刻まれている。仏教
ではライオンはしばしば釈迦を象徴するものとして
描かれる。そのことから4頭のライオンが全方位に拡
がる仏教、またはアショーカ王が統治したインドのマ
ウリア朝の威光を表しているとも考えられる。(説明版より)
アショーカ・ピラーの獅子柱頭について
古代インドのマウリア王朝第三アショーカ王は、仏教布
教の最大の功労者といわれています。アショーカ王は、紀元前
二六八〜二三二年に在位,王は武力による制圧をしましたが、
結果、戦争の悲惨さを痛感し、仏教思想を基本とする法律を
定め、武力を用いない国家統一を成しけました。
百獣の王、獅子は、釈尊の説法の姿を表現しています。
四方を向いて座る獅子は、東西南北へ仏法を広めようと口を開
らいているのです。
「
獅子吼不尽」
という仏教の言果が有りますが、永しなへ
に、釈尊のみ教えが伝わっていくようにという願なのです。
また、それぞれの獅子像の下には、仏教のシンボルマークで
ある法輪が、 その間には
瘤牛、
馬、獅子、像のインドの四聖獣
が浮き彫りされています。
この獅子柱頭像は、現代インドの紋章となり、政府直轄の官
庁関係の建物や、イントの貨幣なとにも使われています。
この獅子柱頭は、インドにて熟練の職人の手により作られ、
海を渡り、この地へ参りました。
アショーカ・ピラーの獅子頭
古代インドのマウリヤ王朝第3代の王であったアショーカ王(紀元前
268年~232年)は、仏教布教の最大の功労者と言われています。
王は、武力で戦った後、戦争の悲惨さを反省し、仏教思想を根本とする
法律を定め、その後、武力なしで国家統一をなし遂げました。
そして王は、柱頭に獅子像を冠した石柱を各地に建て、これに経文を刻
んで仏教布教のシンボルとしました。
これが、そのアショーカ王・ピラー(石柱)と言われるものです。
4頭の獅子をのせる頭板には、法輪を中心に、獅子,牡牛・馬・象が浮
き彫りにされていますが、これは、人間や他の生物に対する黒と自己
制御の意味を表現したものと言われています。
この石柱のオリジナルは、サールナート考古学博物館に保存され、現代
インド国家の紋章ともなっています。 1993年1月 (説明版より)
アショカ・ピラー獅子頭
紀元前3世紀、インドのアショカ王は み仏の
慈悲に基づく善政をもって国家統一をなして各地
に理念を刻んだ碑文を建立しました。碑文は高さ
10mから13mに及ぶ石柱で、頂には動物が彫
り出されていました。
この獅子頭は釈尊の初転法輪の地サルナートに
建てられた碑文柱頭部の模刻です。また、アショ
カ王の意思を引き継ぐかのごとく現インド共和国
の国家紋章に採用されているものです。
地蔵時には「奈良東大寺花まつり千僧法要」
(昭和63年)の縁をもって建立となりました。
平成3年5月3日
地蔵時三十世 晋山の日 建之
(説明版より)
アショーカ・ピラー
古代インドにあって仏教 を守護した大王として 知られるアショーカ王は
現世に喜びと、来世に 安楽がもたらされること を望み、釈尊ゆかりの仏教
聖地や領内各地に法 をたて、法勅文を刻みま した。
これをアショーカ 法=アショーカ・ピラー といいます。
當山三十一世俊昌代 建立
浄真寺 阿育王塔
阿育王は、
紀元前三世紀のインドの王で、仏教を国教とし、慈悲の教により
国民に臨み、その恩徳国内に満ちたといわれる。インド各地に今も残る釈尊の
遺跡に多くの石柱を建立して顕彰の誠を示された。現今のインドの国旗は、こ
の石柱の頭部の法輪である。当山の王塔は、日本様式であり、天保年間のもの
である。(説明版より)